February 2018

THE ROARING TWENTIES

ベントレー・ボーイズの伝説

text andrew hildreth

1927年のル・マン優勝時、ザ・サヴォイでの祝勝会の主賓となった歴戦の勇者、ベントレーのNo.7。

 ブルートレインがカレーに到着したとき、バーナートはロンドンのセント・ジェームズのコンサバティブ・クラブで、席に着きアフタヌーンティーを注文しているところだったという。賭けに勝った彼は100ポンドを手に入れる。フランス当局から請求された罰金は、この金額をはるかに超えるものだったが……。この勝利の記念として、バーナートはヴァン クリーフ&アーペルに、エメラルド、ダイヤモンド、サファイヤがあしらわれたプラチナのケースを特注で作らせた。

 引退後の彼はサリー州のエングフィールドグリーンで暮らした。彼はホワイトハウスという名のパブへよく飲みに出かけ、そこで自身の武勇伝やクルマの話をして地元の人たちを楽しませていたという。バーナートは、癌の手術後の血栓症が原因で死去した。

 バーキンは、ベントレーの身売り後、他社のクルマに乗り換えてレースを続けた。プロトタイプ車をフルスロットルで加速し、トレードマークのスカーフを風になびかせながら、ぎりぎりのところでコース上に留まり、観衆を沸かせていたという。しかし1933年のトリポリ・グランプリでひどい火傷を負い、敗血症を発症して命を落とした。

 ベントレー・ボーイズたちは、まさに「フルスロットル」でクルマを運転し、人生を駆け抜けていったのだ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 20
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