February 2018

THE ROARING TWENTIES

ベントレー・ボーイズの伝説

text andrew hildreth

 しかし彼の強運も最後には尽きてしまう。ル・マンで勝利した後、キッドソンは自身の所有するロッキード・ベガに乗り、南アフリカを目指し飛行していた。しかし、南アフリカ上空で砂嵐に巻き込まれ、機体は空中分解する。彼はついに帰らぬ人となった。

 彼の死はロンドンの新聞で報じられ、それを見てふたりの女性が卒倒したという。そのうちのひとり、エセル・ウィガムは、88人との不倫と性行為を写したポラロイド写真が原因で、夫であるアーガイル公爵と離婚した悪女として知られている。そんな彼女が唯一心から愛した男がキッドソンだった。キッドソンが最後に書いた手紙は、彼女に宛てたものだった。

 バーナード・ルービンは、ル・マンで優勝した初のオーストラリア人だった。第一次世界大戦で重傷を負い、3年間の治療を経て、ようやく再び歩けるようになった不屈の精神の持ち主だ。彼はバーナートの友人として自動車レースをはじめ、1928年にはペアを組み、ル・マンで勝利を収めた。彼もまた、ル・マンを制覇した後、航空機の操縦に夢中になった。1934年にはロンドン~メルボルン間のエアレースに参戦予定だったが、肺結核を患い、1936年にこの世を去った。

時代の終わり ウォール街の株価が大暴落し、ベントレーの自動車製造は赤字となり、バーナートは会社の売却を余儀なくされる。最後にル・マンで優勝する直前、彼が作ったベントレーが、特急列車「ブルートレイン」とカンヌからロンドンまで競走したことは伝説となっている。バーナートはカンヌのカールトンホテルのバーで飲みながら、ブルートレインがカレーに到着するまでに、自分の車がロンドンにたどり着けるかどうか、賭けをした。

 列車が駅を出発したと聞くと、バーナートはゆっくりと歩いてベントレーに乗り込み、祖国に向けて出発した。雨の降るなか、憲兵隊の目を盗みつつ車を走らせ、なんとかガソリンを手に入れ、タイヤのパンクというピンチも切り抜けた。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 20
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