Wednesday, August 5th, 2020

THE LOVELIEST JOKE

ボンドのモデルとなった英国俳優

100本近くの映画に出演した俳優人生の中で、デヴィッド・ニーヴンはありのままの
自分を演じる機会にたびたび恵まれた。つまり、異国における代表的なイギリス人。
彼こそがイギリス人らしいイギリス人である。
text stuart husband

David Niven / デヴィッド・ニーヴン1910年、ロンドン生まれ。5歳のときに戦死した父と同じく、陸軍士官学校に進み軍人となったが、馴染めずに除隊。その後アメリカへ渡り、さまざまな職を経てハリウッド俳優の道へ。洒落た髭が特徴の都会的な紳士役で人気を博し、「スクリーンの粋の化身」と称された。イアン・フレミングはニーヴンをイメージしてジェームズ・ボンドを書いたといわれ、映画化に際して彼をボンド役第1候補に挙げた。本写真は1960年に撮影されたもの。

 1930年代半ばのある日、ハリウッドは晴れ晴れとした爽やかな朝を迎えていた。このときデヴィッド・ニーヴンは、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー社でスクリーンテストに臨んでいた。当時のハリウッドでは、英国人俳優に欠員が生じていた。「ロナルド・コールマン以外、イギリス英語の喋り方を知っている俳優がいないのよ」と言ってニーヴンにハリウッド進出を促したのは、社交界の女性リーダーであるエルザ・マックスウェル。テストから数週間後、ニーヴンはキャスティング会社に「アングロサクソンタイプ2008番」として登録された。

 ニーヴンはハリウッドで、「2008番」を十二分に上回る成功を収め、30年以上にわたり数多の映画に出演した。きびきびした母音の発音、ペンシル型の口髭、軍人的な身のこなし、冷笑的な雰囲気を特徴とする彼は、異国におけるイギリス人の典型だった。*スタジオ・システムにおいては “はみ出し者”であり、自分の仕事に対しても、エロール・フリンやハンフリー・ボガートらを親友とみなすことに対しても、懐疑的だった。1958年に『旅路』でアカデミー主演男優賞を受賞した際、演壇に上がった彼は「幸運のお守りをどっさり身に着けている」と述べた。しかし、彼が英国人ならではの図太さとアドリブ力を持ち、そこに少しの幸運が加わったことで受賞に至ったということは誰もが知るところである。

父と同じく軍人の道へ ニーヴンは1910年にロンドンのベルグレイヴィアで生まれた。父親はスコットランド系の陸軍予備中尉で、5年後にガリポリの戦いで命を落とすこととなる。ニーヴンは父親について、ベストセラーとなった回顧録『The Moon’s a Balloon(原題)』の中で「あまり姿を見なかった」と書いている。母親はフランス系で、「美しく、音楽に堪能で、嘆き悲しんだり有頂天になったりする人」だった。夫と死別してお金に困った母は、保守党の議員と再婚した。継父は、ニーヴンが食事中に行儀の悪い食べ方をするとカフリンクスでカチカチと音を立てた。これがきっかけで、ニーヴンは生涯にわたって権威ある人々を小馬鹿にするようになる。相手が冷淡な継父であれ、嗜虐的な特務曹長であれ、無粋な映画会社の代表者であれ、それは変わらなかった。

*スタジオ・システム=1920年代に確立されたハリウッド独特の映画製作方式。少数の映画会社が寡占的に映画産業を独占していた形態。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 35
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