May 2018

PARADISE FOUND

コリン・テナント男爵が作った島

1950年代まで、マスティク島は2~3平方マイルの砂地に、野生の牛が暮らす場所だった。
だが今や、カリブ海に浮かぶこの島は、富と地位を持つセレブの隠れ家となっている。
この変革を成し遂げた男は、並外れた意志の強さと財力を兼ね備えた英国貴族だった……
text james medd

マスティク島の自宅でのグレンコナー卿(コリン・テナント)、1985年。

 蔓延する虫にちなんで名づけられた島と聞いて、楽園を思い浮かべる人はいないだろう。だがそんなマスティク島は、1960年代に突如、地上の楽園となった。アクセスが悪く、私有地であるマスティク島は、ジェットセッターにとって、世間の目から逃れられる絶好の隠れ家となった。

 カリブ海に浮かぶこの小さな島は、2~3平方マイルの砂地に野生の牛が暮らす場所から、100万ドルのビーチサイド・ヴィラが連なるリゾートへと生まれ変わった。レストランにはキャビアが並び、ビーチバーでは、英国の王位継承者の結婚披露宴が行われるほどだった。上流階級の特権とデカダンスが混じり合うこの島は、ロックスターや王族の不品行の代名詞となり、超富裕層のためのパーティーの開催地となった。

 その陰には、常にひとりの男の存在があった。彼は気まぐれで支配欲が強く、専制的で気が短く、すぐ無茶をした。イギリスの支配階級ならではの権利意識を持ち、享楽主義的で自由奔放な性分だった。彼とマスティク島の物語が示すのは、もし地上に楽園があるとするならば、それはおそらく、恵まれた気候と金、そして何より人間の意志の力によって築かれたものだろうということだ。

牛や山羊ばかりの島 マスティク島が初めて記録に登場したのは、スペイン人の船乗りたちがこの島を発見した15世紀だった。その2世紀後、今度は海賊が戦利品を隠すための宝島として利用した。次にやって来たのはヨーロッパの植民地主義者たちだった。彼らは島にサトウキビを植え、建物を建てた。だが、砂糖ブームが終息したとき、マスティク島に残ったのは牛や山羊ばかりで、所有者も島に無関心な人物が続いた。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 22
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