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貴殿も世界の名画オーナーに!
ピエール=オーギュスト・ルノワール

The Rakish ART ROOM Vol.08

Thursday, May 28th, 2020

印象派の画家として、絵画の歴史に新風を吹き込んだピエール=オーギュスト・ルノワール。

晩年は南仏カーニュで、さらに自由で歓びに満ちた創作活動を繰り広げた。

 

text setsuko kitani  cooperation mizoe art gallery

 

 

“肌着を直す若い娘(ルイーズ・ベンゼル)”

印象派と距離を置いてから30年にわたり執着した優美な裸体像。若い女性が、画面には描かれていない野外の泉もしくは川で、水浴をしようとゆっくりと服を脱ぐ、親密で官能的な場面を描く。絵の具の塗り重ねと小さな筆跡が生み出した、生身の肉体を思わせる生き生きとした質感は、身体の感触をも想像させる。キャンバスに油彩 65×54.4cm 1905年制作 ¥850,000,000(税込価格)お問い合わせは、ザ・レイク・ジャパン info@therakejapan.com まで

 

 

「彼は、ほほえみを浮べ、われわれに目配せをする。草と、オリーヴの樹と、モデルと、彼自身とのあいだに打ち立てられた共犯関係を、われわれに知らせるためだ。しばらくすると、描きながら、鼻歌を歌い始める。ルノワールの幸福な一日が始まったのだ。まえの一日ともあとの一日とも変りのないすばらしい一日が」

 

『どん底』(1936年)や『河』(1951年)などの作品で知られる映画監督のジャン・ルノワール(1894-1979)。彼は、回想録『わが父ルノワール』の中で、印象派の巨匠で父のピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)が、草上のモデルを描く様を、生き生きと愛情をもって伝えている。

 

 ここで語られているのは78歳で亡くなったルノワールの晩年の姿である。《肌着を直す若い娘(ルイーズ・ベンゼル)》が描かれたのは、それより十数年前のことではあるが、このときもルノワールは、鼻歌を歌いながら幸せそうに絵を描いていたことだろう。なにしろ彼は、生涯にわたって「生きる歓び」を描き続けた、幸福の画家なのだから。

 

 とはいえ、ルノワール自身は、結構な苦労人である。彼は19世紀半ば、陶磁器で有名なフランス中西部の町リモージュに生まれた。父は仕立て職人、母はお針子という家庭に育ったルノワールは、13歳のときに陶器の絵付け職人に弟子入りし、以後も扇子の図案描きや窓の日よけの装飾などを生業とした。

 

 しかし画家になる夢を捨てきれず、スイスの画家シャルル=グレールのアトリエに入門。そこで後の印象派のメンバーとなるモネやシスレーらと知り合い、見事国立美術学校にも合格する。その後はモネをはじめとする仲間たちと貧乏をともにしながら、印象派展の開催にこぎつけ、37歳のときにはサロンにも出品。印象派の中ではいち早く生活苦から脱出した。

 

 ところが1897年、56歳のとき、妻の実家のあるエソワで自転車から落ち、右腕を骨折したことをきっかけに慢性関節リウマチを発症。以後78歳で亡くなるまでの22年間、リウマチの痛みに耐えながら絵を描くのである。

 

 

ピエール=オーギュスト・ルノワール

Pierre-Auguste Renoir (1841-1919)

モネと並ぶ印象派の巨匠。10代の頃は陶器の絵付けなどをしていたが、画家を目指して絵画を学ぶうちに、モネやシスレーなど後の印象派のメンバーと出会い、印象派展などで活躍。その後サロンでも高い評価を得て、晩年は生気と官能性をたたえた豊潤な裸婦の姿を数多く描いた。代表作は《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》(1876年、オルセー美術館)など。©Aflo

 

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