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今買える、世界の名画 Vol.05
パブロ・ピカソ

The Rakish ART ROOM Vol.05

Wednesday, November 27th, 2019

91年という長い生涯で、次々とスタイルを変えながら、20世紀美術を革新した

パブロ・ピカソ。死の前年に描かれた《男の顔》には、貪欲な生への情熱が宿っている。

 

 

text setsuko kitani  cooperation mizoe art gallery

 

 

男の顔

1972 年1月、ピカソが90歳のときに描いた作品。大きなマスケットハットをかぶった男の姿は、当時彼が関心を寄せていた画家フィンセント・ファン・ゴッホへのオマージュと考えられている。本作は1973年5月より開催されたアヴィニヨン教皇庁でのピカソの近作展に出品された。しかし彼はその直前、展覧会を観ることなく亡くなった。

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 画面いっぱいに大胆な筆致で描かれた男の顔。頭にはマスケット銃兵のような帽子をかぶり、あごや頬にはもじゃもじゃと髭が生えている。目、鼻、口は、作家お得意の多視点であり得ない位置に配置され、背景のウェットなエメラルドグリーンは薄塗りで、絵筆の跡も生々しい。また、顔と胴体の関係性が不明瞭なため、大きな顔は地平線の向こうから突然出現したようにも、生首が地面に直接置かれているようにも見えるのだ。

 

 この極めてワイルドな男の顔は、20世紀美術の巨匠、パブロ・ピカソの作である。91年という長い生涯を生きた彼が、亡くなる前年に制作し、1973年5月23日より南仏アヴィニヨン教皇庁で行われたピカソの大規模な近作展に出品された。本人は直前に亡くなったため、展覧会を観ることはなかったが、生前、出品作として選んでいたところをみると、ピカソが《男の顔》に、強い思い入れを抱いていたことが推察される。

 

 20世紀初頭、パリに出てきた頃より、青の時代、バラ色の時代、キュビスム、新古典主義、シュルレアリスム……と、自ら確立したスタイルを壊しては、新しい作風を生み出していったピカソ。この破壊と創造の巨人は晩年、ドラクロワの《アルジェの女たち》やベラスケスの《女官たち》、マネの《草上の昼食》といった傑作に着想を得て、過去の巨匠たちと対話をするような連作を描いた。

 

 

パブロ・ピカソ《帽子をかぶった座る老人》1970-71年、ピカソ美術館、パリ。

 

フィンセント・ファン・ゴッホが描いた数多くの自画像の中の1枚、《麦わら帽子をかぶった自画像》1887年、ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム。黄色い麦わら帽子を被ったファン・ゴッホの自画像は、ピカソの《男の顔》や《帽子をかぶった座る老人》のインスピレーションの源と考えられている。

 

 

 

 本作も同様に、フィンセント・ファン・ゴッホによる麦わら帽子をかぶった有名な自画像にインスピレーションを得た作品といわれている。確かにこの時期、彼の自画像をアトリエの壁に投影したり、「耳切り事件」の記事を掲載した地元紙のコピーをとっておくなど、ピカソはファン・ゴッホに大きな関心を抱いていた。

 

 画中の男がかぶった大きな帽子や、頬を覆う髭は、ファン・ゴッホの自画像に託して描かれた、ピカソ自身の自画像といえるのかもしれない。ただし両目をカッと見開き、鼻孔や口を大きく開けた野生的な《男の顔》には、老いてなお生を貪ろうとするピカソの、溢れんばかりのエネルギーが感じられる。

 

 

 

ピカソ晩年のミューズ、ジャクリーヌ

 

 パートナーが変わると絵が変わるのか? 絵を変えたかったからパートナーを変えたのか? バラ色の時代の恋人フェルナンド・オリヴィエ以降、ピカソの芸術は、交際する女性が変わるたびに変貌した。その周期は約10年といわれるが、彼がファン・ゴッホへのオマージュとして《男の顔》を描いた晩年、20年間という長い時間をともに暮らしたミューズが、ジャクリーヌ・ロックである。

 

 ピカソとの間にふたりの子供をもうけたフランソワーズ・ジローが去った後の1953年、72歳の老画家は、黒い瞳と黒い髪が魅惑的な26歳の美女に出会う。彼女は、当時陶芸に夢中になっていたピカソが親しく交流していた南仏ヴァロリスの陶工ジョルジュ・ラミエ夫人の従妹で、イスパニア的な雰囲気を持っており、実際、スペイン人のピカソと母国語で話すことができた。以後ジャクリーヌは、ピカソが亡くなるまで彼に寄り沿うこととなる。

 

左:サント=ヴィクトワール山に立つ14世紀の城、ヴォーヴナルグ城。1973年4月に亡くなったピカソは、この城の前庭に埋葬された。/右:ピカソと、彼の晩年を支えた2番目の妻、ジャクリーヌ・ロック。

 

 

 1958年、ピカソはセザンヌが繰り返し描いたことで知られるエクス=アン=プロヴァンス、サント=ヴィクトワール山の斜面にそびえる古城ヴォーヴナルグを購入してジャクリーヌとここで2年間を過ごし、ピカソの最初の妻オルガ・コクローヴァが亡くなった後の1961年、ふたりは晴れて結婚した。80歳と34歳のカップルが南仏の小村ムージャン近くの丘の上、礼拝堂のある大きな農家「ノートル=ダム=ド=ヴィ」に移り、終の棲家としたのは結婚直後のことである。

 

 ジャクリーヌが仕事の障害となるものをすべて遮断してくれたおかげで、ピカソは残り少ない人生を創作につぎ込むことができた。1968年から73年に亡くなるまでに彼が生み出した油彩画、素描、エッチングは1000点以上に及び、テーマは男女が激しく愛し合うものから、闘牛士、静物、自画像まで多岐にわたる。中には《男の顔》と同じく、帽子をかぶったファン・ゴッホに、袖がゆったりとした服を着たマティス、リウマチで手の不自由なルノワールの姿を、90歳の自分に投影したような男の肖像《帽子をかぶった座る老人》などの作品もあった。

 

 しかし偉大なる巨匠も、ついに1973年4月8日、ムージャンの自宅で91年の生涯を閉じる。その喪失感に耐えられなかったのだろうか? 13年後、複雑な遺産相続の問題を解決させたジャクリーヌは、ピストルで自らの頭を打ち抜いてこの世を去った。

 

 

パブロ・ピカソ/PABLO PICASSO(1881-1973)

20世紀美術の巨匠。スペインのマラガ出身。20世紀初頭にパリに出た後、青の時代、バラ色の時代と次々に作風を変え、1910年代に行ったキュビスムの実験では、絵画を遠近法から解放するなど20世紀最大の美術の革新者となった。1937年、ゲルニカの無差別爆撃に抗議して描いた大作《ゲルニカ》も名高い。


 

<本連載の記事は以下より>

Vol.01 マルク・シャガール

Vol.02 ワシリー・カンディンスキー

Vol.03 モイーズ・キスリング

Vol.04 アンリ・マティス

Vol.05 パブロ・ピカソ