From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

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黒岩真治さん

黒岩真治さん

FCAジャパン 広報部長

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カメラマンの小澤君が、ある日息急き切って言いました。

「松尾さん、ものすごくカッコいい人がいるんです。ぜひブログで取材して下さい!」

彼にはずっとこのブログの撮影を担当してもらっていますし、他のファッション誌でも活躍している売れっ子カメラマンですから、お洒落な人は飽きるほど見ているはず。その彼がそこまで言うなら、よっぽど素敵な人に違いない・・そう期待しつつお会いしたのが、今回ご登場の黒岩真治さんです。アルファロメオ、ジープ、フィアットなど、5つのカーブランドを擁するFCAジャパンの広報部長をなさっています。

アルファ ロメオ4C スパイダーを駆って、颯爽と現れた実物は、ウワサ以上のカッコよさでした。

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スリーピース・スーツは、ガブリエレ パジーニ。ご購入は六本木のエストネーションにて。

「パンツのシルエットが気に入っています」と。

 

タイはフランコ・バッシ、シャツはルイジ・ボレッリ。

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 時計はアップル・ウォッチの初期ロット。

「発売と同時に買いました」

 

シューズは、トッズ。

「トッズの靴は、ドライビングに適していますね。これもラバーソールに突起があって、クラッチを繋ぎやすい」

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それにしても手足が長い。撮影場所のイチョウ並木をバックに立つ姿は、モデルそのままです。

「私はアメリカで生まれたので、アメリカのベビーフードを食べて育ちました。日本のものと比べて繊維質が少ないため、腸が過剰に成長することなく、胴が短く、手足が長くなるそうですよ」と。

自ら“珍説”と仰っていましたが、黒岩さんのプロポーションを見ていると、あながち間違いでもないような・・

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「私はいつも自分が“人にどう見られているか”を意識しています。広報マンは黒子に徹していてはダメだと思うのです。自分自身が“媒体”にならなければ」

 

そういう黒岩さんは、まさにセルフ・プロデュースの達人です。

 

「私は小学生の頃から、『国際的なビジネスマンになる』ということを公言してきました。そしてその絵に従って、人生を歩んできました。慶應義塾大学に入ったのも、“わかりやすいプレミアム感”を求めてのこと。学生時代は、ラルフ ローレンやバーバリーなど、いかにも慶應ボーイな格好をしていましたね。青山に住んで、メルセデス・ベンツやカッシーナでキャリアを重ねて来たのも、計算づくでした」

 

「18歳の頃から、一日も欠かさずに日記をつけています。月一年一でまとめて振り返り、次の目標を定めて、それに向かって努力します。声にコンプレックスがあったので、8年間ボイス・トレーニングを受けました。今度は通訳試験にチャレンジしようと思っています」

 

なんとなく流されるままに生きてきた私とは、正反対の人生です。

「そんなことばかりだと、疲れてしまいませんか?」と尋ねると、

「いいえ。逆にこうしているほうがラクなのです。目標のない人生なんて考えられません」ときっぱり。

 

こう書くと、ちょっと嫌味に聞こえるかも知れませんが、そんな感じが全然しないのが、黒岩さんの不思議なところです。むしろ話していて、とても楽しいし、人間的な温かさも感じます。こういうタイプの人には、初めてお会いしました。

 

しかしそんな黒岩さんにも、人生初の“想定外”な出来事が起こります。

「実は昨年結婚し、今年2月には子供が生まれるのです。これは計算できなかった(笑)」

 

さーて、パパ業の先輩として言えることは、“子供ほど思い通りにならないものはない”ということです。オンザレールだった黒岩さんの人生に、これからどんなハプニングが起こるのか、ちょっと楽しみにしているのです。

 

渡辺新さん

渡辺新さん

 壹番館洋服店 代表取締役社長

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壹番館洋服店の社長、渡辺新さんのご登場です。創業、1930年。三代に亘って続く、銀座を、そして日本を代表する老舗テーラーです。

「つい先日も、90歳を超えるお客様が、60年以上も前のコートを修理にお持ちになりました。彼が28歳のときに、私の祖父がお納めしたものです。こういうことがあると、われわれの商売は、単にモノを売っているのではなく、“時間”そのものを扱っているのだと思い知らされます」

 

うーむ、さすがに壹番館ですね。昨今は本場英国やイタリアで修業し、帰国した若手テーラーたちに注目が集まっており、私自身もそういった服を好んで着ていますが、歴史まで含めて考えると、壹番館に敵うテーラーは皆無だと言えましょう。

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スーツはもちろん壹番館で仕立てたもの。生地は昔のフィンテックスです。

「打ち込みがしっかりしていて、まるで“ブリットプルーフ(防弾チョッキ)”のようです。ヘビーウエイトな生地の方が、仕立て映えがして、個人的に好きなのです。弊社では、もちろん薄い生地も扱えますが、本当にテーラードを愛している方々には、こういった生地を好まれる方が多いですね」

 

ベストも壹番館。生地はヴィンテージのフォックス ブラザーズ。

「昔のフォックスは、こんな、ちょっと黄色がかったグレイで有名でした」

びっくりしたのは、背中部分。なんとホルスタイン柄のフェイクファー地で出来ています。

「オーダーメイドは、決してコンサバだけではありません。オーダーだからこそ、もっと遊ぶべきだと思います。最近では、そういった注文も多いのです」

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シャツも壹番館オリジナル。ここではシャツのオーダーも出来るのです。ボタンダウンのダブルカフスとは珍しい。

「カフスのターンナップ部分を見て下さい。ほら、曲線を描いているでしょう? 昔の宮廷衣装からインスピレーションを得て、作ってみました」

こんな遊びも、オーダーならでは、です。

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シューズはエドワード・グリーン。他にジョン ロブもお気に入り。

ポイントのレッドのソックスは大阪の専門店にてオーダーしたものです。

「ソックスは葬式以外、いつも赤なのです。以前見たバチカンの写真に、真っ赤なソックスをはいている人がいて、『ちょっと、いいな』と」

私の知る限り、希代の洒落者、故・桃田有造さんも、いつも赤のソックスを愛用されていました。お洒落を極めた人は、赤靴下に至るのでしょうか?

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「テーラーの世界は日進月歩。ただ昔からの技術をなぞっているだけでは、ダメなのです。テーラー自身も、進化していかないと」

 

老舗のテーラーの跡取りとして生まれた渡辺さんですが、大学卒業後ヨーロッパに渡り、そこでずいぶんと新しい体験をしたそうです。

「最初は英国のテーラーリング学校へ入ったのですが、当時はミラノ・ファッションの全盛期。アルマーニ、ヴェルサーチ、ジャンフランコ・フェレといったデザイナーたちが大活躍していました。そこで、私もミラノへ移り、フェレが教授をしていたデザイン学校へ入学したのです。そこでは本当にいろいろなことを教わりました」

「当時フェレが言ったことで印象深かったのは、『クリエーションは天から降ってくるものではない。そんなものが通用するのは、せいぜい1、2年だ。もしファッション・ビジネスを10年続けたいなら、大切なのは、とにかくリサーチをすることだ』という一言でした」

 

つまり、一見ひらめきがすべてのように思えるモードの世界も、実はロジカルかつ綿密な調査の積み重ねによって成り立っている、その事実に気付かされたということです。その経験は、老舗テーラーを背負って行く立場になってからも、大いに役立っているといいます。

 

「人間は、一人一人がオーダーメイドの人生を歩んでいます。それぞれの状況を踏まえて、さらにその人を輝かせるにはどうしたらいいか、を考えるのがテーラーの仕事だと思います。だから、この仕事にクリエーションは欠かせないものなのです」

 

「進化する老舗」という言葉は、まさに壹番館と渡辺さんのためにあるものでしょう。

 

 

綿谷寛さん

綿谷寛さん

 イラストレーター

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イラストレーターの綿谷寛さんのご登場です。業界では親しみを込めて“画伯”と呼ばれています。

 

「とにかく幼い頃から、絵を描くこと、そしてお洒落をすることが好きでした。しかしお金がないから、実際に洋服を買うことはできなかった。そこで兄が持っていたメンズクラブを横において、いろいろなコーディネイトを考えながら、ひたすらファッション画を描いていました。あの時の経験が、今でも役に立っています」

 

その後、一時はマンガ家を志したこともあったそうです。

「実家が池袋にあって、近くには手塚治虫先生や石ノ森章太郎先生、赤塚不二夫先生などのスタジオが集まっていました。そこで彼らのところへ、自分の作品を持ち込んだりしていましたね。懸賞へも応募しましたが、いつも“佳作”止まり。どうも自分には、ストーリーテラーの才能はないのだと気付かされました」

 

しかし「一枚絵なら勝負できる」と考えて、イラストレーターの道を選んだそうです。

「穂積和夫さんや小林泰彦さんのようになりたいと思い、セツ・モードセミナーへ入学しました。穂積さんには、よく絵を見てもらったものです」

 

そして21歳のときに、当時創刊したてだったポパイへ売り込みに行って、見事採用。それからはずっと、メンズ・ファッッション・イラストレーター一筋だそうです。

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スーツは、バタクの中寺さんに作ってもらったもの。

「私はどうしてもアメトラのイメージがあるのですが、職業柄いろいろなものも試すんですよ。これも一見アメトラですが、サイドベンツだったり、ベルトレスだったり、ちょっとウエストを絞ったりして、“大人っぽい感じ”にしてもらいました」

 

ベストもバタク。

「白蝶貝のボタンが、タッタ—ソールに似合うでしょう? 往年のブルックス ブラザーズのカタログなどを見ると、昔は皆、この組み合わせだったようですね」

 

シャツはスキャッティオーク。

「ラウンドカラーのシャツが欲しかったのですが、ちょっと前まで、なかなか売っていなくて。これはネットで探して買いました」

 

ニットタイはフェアファクスコレクティブ。

 

チーフは大好きなラルフ ローレン。

「彼も私も末っ子だし、彼の父はペンキ職人で私の父は左官屋、それに彼の生まれたブロンクスって、なんとなく池袋に似ていませんか?」

いや画伯、それは全然違うような・・・

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時計はジャガー・ルクルトのレベルソ。奥様が「家のローンが終わって、ご苦労さん」と買ってくれたそうです。

「でも裏に自分のイニシャルを彫ろうかと思ったら、『あなたに何かあったとき、売れなくなるから止めて』と言われました(笑)」

 

シューズはオールデンのサドル。素材はコードバンです。

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 さて綿谷画伯と言えば、雑誌Beginなどでおなじみの、マンガのようなコミカルなタッチと、正統的なファッション・イラスト=自称“マジタッチ”の二つを使い分けることで知られています。

「デザイナーズ・ブランドに人気が集まるようになってから、日本独自のファッションが増えてきました。それらを表現するには、海外をお手本とせず、むしろ日本ならではの、マンガチックなタッチのほうが相応しいと思ったのです。仕事は、それぞれ半々くらいですが、景気がよくなると、なぜかマジタッチの注文が増える。今またマジタッチの注文が増えてきているので、日本の景気は上向いているのかもしれません」

そういう綿谷さんご自身の景気も、相当よさそうです。

 

ご自宅にて、画伯自らサーブした英国風ミルクティーを頂きながら、お話を拝聴するのはとても楽しかったのですが、「きっとこの瞬間にも、イラストのアガリを、今か今かと待っている、かつての私のような編集者が大勢いるに違いない」と気付いて、早々に退散したわけでした。

尾作隼人さん

尾作隼人さん

 パンタロナイオ

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 パンタロナイオの尾作隼人さんのご登場です。この“パンタロナイオ”という言葉は、尾作さんによって世に広まりました。もとはイタリア語で、日本語だと“パンツ職人”の意味です。

多くのテーラーでは、ジャケットのみを製作し、パンツは下請けに出すのが習わしです。ですから昔からパンツ職人はいたのですが、あくまでも“縁の下の力持ち”的存在であり、十年ほど前までは、パンツ職人そのものにスポットが当たることは、ほとんどありませんでした。

「もともとは、普通のテーラーを志していましたが、パンツ職人になろうと決めたのは、テーラーの上木規至さんに出会ったからです。ナポリ仕込みの彼の作るジャケットを見て、『これは、敵わないな』と素直に思いました。その瞬間、『それなら私は、パンツ一本で行こう』と閃いたのです」

 

しかし先達のいない試みだったので、すべてが手探りでした。この道で食べて行けるのか、不安の中でのスタートだったそうです。

「下請けの仕事を続けながら、自分なりに工夫を重ねました。私のパンツの特徴は、ベルト下を作り込んで腰回りにボリュームを出し、後ろ身頃を長く取って、裾が跳ねないよう落ち着かせることです。しかし一歩間違うと、カッコ悪いシルエットになってしまう。ずっと試行錯誤の連続でした」

その努力が実り、受注は少しずつ増えて行って、今では日本中、いや世界中のファッショニスタが彼のパンツを欲しがるまでになりました。

「ありがたいことに50本以上のバックオーダーを抱えています。納期が延びてしまって、ご迷惑をかけています」と嬉しい悲鳴を上げています。

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ジャケットは、リベラーノ&リベラーノ。タイは昔のブルックス ブラザーズ(こちらはヤフオクで手に入れたそうです)。シャツは南シャツで作ってもらったビスポーク。南さんとは、お互いに品物を購い合っているそうです。

 

シューズは昔のマスタ—ロイド、「もう10年以上も愛用している」重厚なダレスバッグもロイド製です。

「こういうものは若いうちに買って、使い込んでいくのがいいと思って」

いまだにピカピカの革鞄に食指が動いてしまう私には、耳の痛い言葉です。

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そしてトレードマークでもあるウールのグレイパンツはもちろん自分で作ったもの、と思いきや、縫ったのは見習いで、練習用だったとか。

「自分が着る服って、本当に持っていないんですよ。パンツですら、ウールとコットン合わせても、10本もありません。お客さんをお待たせしているのに、自分のものを作るわけにはいかないじゃないですか」

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 尾作さんのパンツはすべて手作りですので、1本作るのに30時間もかかるそうです。月産はどうがんばっても8本が限界だとか。

「毎日夜遅くまで仕事をしています。週に100時間働くこともあります。しんどいけれど、でも辛くはないですよ。パンツを作るのが好きだし、お客さんの喜ぶ顔を見るのが、一番嬉しいですから。パンツ作りは私にとって、コミュニケーションの手段なんです」

 

そのがんばりをきちんと見てくれているのは、今年6歳になるお嬢ちゃん。

父親の仕事は、服を作ることというのは理解していて、先日、

「パパって、ウデがいいから人気者なんだね!」と言ってくれたそうです。

「これは嬉しかったですね〜」と尾作さんもデレデレです。

 

私にも同じ年の息子がいるので、彼の気持ちはわかります。親って子供にホメられるのが、一番嬉しいんですよね(ウチの子も先日、私のことをホメてくれましたが、その理由は「パパはカメを触れるから」というものでした・・・)

 

「一生パンタロナイオとして生きて行こうと決めています!」

そんなお父さんの背中が、お嬢ちゃんには、ひときわ頼もしく見えていることでしょう。

 

※撮影協力=コラボレーションスタイルTEL.03-5579-9403(尾作さんのパンツは、ここでオーダー可能です)

加藤勝信さん

加藤勝信さん

 

一億総活躍担当、拉致問題担当、女性活躍担当、

再チャレンジ担当、国土強靭化担当、

内閣府特命担当(少子化対策および男女共同参画)大臣

 

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今回このブログをご覧になっている方は、わが目を疑っていると思います。なんと加藤勝信大臣のご登場です。ここでは、数多くのお洒落な方々を取材してきましたが、現役の大臣にご降臨頂くのは初めてです。

加藤大臣は、その長い肩書きからもわかるように、ご担当されている分野が幅広く、非常にお忙しい方です。その中でお時間を割いて頂いたことに、心から感謝致します。

 

議員会館の事務室には、われわれの取材の前後にも、陳情らしき人々が列を成していました。皆さん切実な訴えを抱えているのでしょう。その目は真剣そのものです。その中で、私とカメラマンの岡田ナツ子は、あまりにも「浮いた」存在でした・・・

 

さて、私が「もっとお洒落をして欲しいな」と思う職業の筆頭は、政治家の方々です。たまに国会中継などを見ると、どう見ても安物の、しかもサイズの合っていないスーツをお召しの方が多いのです。

日本国内だけだったら、それでいいのかもしれません。しかし、国を代表して海外に行かれる場合は、もう少し何とかして欲しいと思ってしまいます。名刺社会である日本と違って、さまざまな人種が交錯する欧米では、まずその人の着ているもので、人となりを推し量る習慣があるからです。

ですから欧州の政治家は、必ず一流処の仕立て服を着ています。サミットの記念撮影で、ずらりと並んだ各国首相のなかで、日本だけが「あーあ」ということにならないよう、頑張って頂きたいと思うのです。

 

その点、本日の加藤大臣のような着こなしなら満点ですね。

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 スーツはタキザワ シゲルにてオーダーメイドしたもの。いかにも高級感のあるグレイッシュ・ネイビーの生地は、ドーメルの看板素材“アマデウス”です。緩やかに絞られたウエスト・シェイプが、注文服であることを物語っています。

「昔から滝沢さんの服が好きで、銀座のバーニーズ ニューヨークでよく買っていました。家族をはじめ、周りからの評判もよかったですし。オーダーしたのは初めてですが、ちょっとタイトめで、きちんと体に合っていて気持ちがいい。若返ったような気分になりますね。これ以上太ることができない、という抑止力にもなります(笑)」

 

シャツもタキザワ シゲルのオーダー品。

「私は体に対して首が太いので、シャツはオーダーでないとダメなのです」

ちなみにタキザワ シゲルを愛用されている政治家の方は、加藤大臣以外にも多いのです。

 

タイはマリネッラ。かつてのナポリ・サミットの際に、お土産として配られた名品ですから、政治家の方がするにはぴったりです。

「マリネッラでは数本のタイを買いました。普段締めるのは、黄色や赤系が多いですね。家内が私に、その日のラッキーカラーを教えてくれるんです。風水なのでしょう。それを参考にすることもあります」

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メガネはシャルマン。こちらは福井県・鯖江の逸品です。お求めは地元・岡山にて。

「日本には伝統的なモノ作りのよさがあり、素晴らしい職人たちがいる。しかし、皆さん年配となってきている。これを次世代へと、継承していかなければならない。それには、まず需要がなければなりません」

まったく仰る通りです。今こそ官民挙げて、日本を“ファッションと職人の国”としてアピールするべきだと思います。

 

時計はシチズン アテッサ エコ・ドライブ GPS衛星電波時計。

 

「いつも時間ギリギリで仕事をしていますから、正確な時計は欠かせません。その点これは電波時計ですから、絶対に狂わない。この手のものとしては、薄型なところも気に入っています」

 

シューズは、ジョン ロブのシティ。ストレートチップの傑作です。こういったオックスフォードタイプの紐靴は、地位ある方が履くと、本当にカッコいいですね。

「私は甲高幅広でなかなか合う靴がないのですが、これは足に馴染みます。時間があれば、靴磨きも自分でしますよ。靴墨とブラシを使ってね」

 

さすがと唸ったのは、大臣がロングホーズを穿かれていたこと。足を組んだ時に、スネ毛が見えてしまうのは、欧米では最低のマナーとされていますから。

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「政治家にとって、服装は大きなファクターだと思います。もちろん一番大切なのは政策内容なのですが、それを受け入れて頂けるような雰囲気を醸し出す、ということは必要です。ですから皆様に、なるべく好印象を与えるような装いを心がけています」

政治家の方々は、いつも衆目に晒されているのですから、本当に大変ですよね。

 

「ご自身のほかに、お洒落だと思う政治家はいらっしゃいますか?」との問いには、

「やはり図抜けているのは、麻生(太郎)副総裁・財務大臣でしょう。テーラーメイドの洋服を、いつも自然に着こなしておられます。われわれは国会答弁の時など、立ったり座ったりが多いのですが、他の人のズボンがしわくちゃになっても、麻生さんのパンツは、いつもピンとしている。不思議に思って尋ねたら、パンツの返しの中に、オモリを入れているのです。『オイ、触ってみろ』と言われて触ったら、本当に入っていましたよ(笑)」

 

ほとんどの日をスーツで過ごされる加藤大臣ですが、たまの休日や散歩の時には、ジーンズもお召しになるそうです。

「私の地元である岡山は、ジーンズとその生地で世界的に有名ですからね。ジーンズだけではなくて、デニム生地のスーツも3着持っているんです」

デニム・スーツ姿の加藤大臣、拝見してみたいですねぇ。

 

ちなみに大臣は東京・杉並のご出身で、高校は私服だっだそうです。

「当時は、ジーンズにTシャツという格好ばかりでした。ベルボトムのパンツに、髪の毛はロン毛。でも髪質が堅いから、ライオン丸みたいになってしまうのだけれど(笑)」

 

最近のお悩みは忙しすぎて、ショッピングに時間を割けなくなってしまったこと。

「羽田空港の中に、三越伊勢丹があるのです。以前は飛行機を待っている間に、そこを見て回るのがちょっとした楽しみでした。しかし大臣になってから、別の通路を使わなければいけなくなってしまったのです」

 

そんな大臣の、いま一番の楽しみは、4人の娘さんと食事に行くことだとか。

「私は代々木上原に住んでいるのですが、家のそばの『まんぷく』という焼き肉屋へよく行きます。ええ、美味しいですよ。それから『ふく』という焼き鳥屋も好きですね。ただし、こちらのほうは、なかなか予約が取れなくなってしまって・・・」

なるほど一国の大臣をもってしても、人気店の予約って、難しいものなのですね。

 

素敵なファッション・センスと飾らないお人柄が、加藤大臣の最大の魅力だと申せましょう。

 

 

俣木昌己さん

俣木昌己さん

イン アンド ヤン代表取締役

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PR会社であるインアンドヤンを経営なさっている俣木昌己さんのご登場です。お会いするなり開口一番、

「松尾さん、ひどいなぁ。私にはタイドアップを要求しておいて、自分はその格好ですか!」

取材時に私が着ていたのは、Tシャツに短パン。まるで裸の大将です。いやぁ、本当にすみません。暑かったものですから・・・

 

俣木さんは24歳で独立してから、ありとあらゆる会社・商品のPRを手掛けてこられました。かつてはラッキーストライク、レミーマルタン、NTT、ナムコ、ゼニア、トッズ、スカーゲン、最近ではスタインウェイ、クラブツーリズム、阪急メンズ、某メガバンクなどなど・・その数は枚挙に暇がありません。

「私が手がけてきたのは、商品ローンチの仕事が多いのです。誰も知らないモノを、たくさんの人に知ってもらうのが楽しいですね。売り上げが伴なうと、もっと嬉しい(笑)」

 

本日はご自分自身をPRです。

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スーツは、広尾のセレクトショップ、ピッコログランデでオーダーしたもの。

フランネル調の素敵な生地はカチョッポリ。素敵なご夫婦お二人でやっている、知る人ぞ知るお店です。

「以前の事務所の真向かいだったので、通うようになりました。プライベートでもお付き合いがあって、食事に行ったり、ゴルフに行ったりしているんです。今日のコーディネイトもアドバイスしてもらったんですよ」

 

タイとシャツは、サルヴァトーレ・ピッコロ。 チーフは、ロジ&ゲッツィ。

やはりピッコログランデにて購入したもの。

「これは、今回の撮影のために新調したんです」

すいませんねぇ・・

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時計はパテック フィリップのカラトラバ ポインターデイト。日付を示す赤い針が特徴です。文字盤の色に合わせて、ストラップもネイビーになっているところがミソだとか。

 

シューズはサントーニ。リザード遣いが上品でお洒落。これもピッコログランデで買ったもので、

「お店の人には、『ちゃんと靴下を履いてくださいね』と言われました(笑)」

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東京生まれの俣木さんですが、幼い頃は喘息がひどく、キレイな空気を求めて、鹿児島・指宿へ移住されたそうです。

「ファッションは大好きだったんですが、指宿には学生服を売っているような店しかない。しかしホテルや旅館はたくさんあったので、バイトしまくって、そのお金を全部洋服へつぎ込んでいました」

 

そのお陰もあって、ある日鹿児島の街を歩いていたら、雑誌ホットドッグプレスの街頭スナップに声をかけられて、写真を撮られました。掲載号を見てみたら、なんとグランプリになっていたそうです。

「これが嬉しかったですね。初めて自分の服を人にホメられた」

 

それから俣木さんのバブル時代が始まります。

「東京に戻って、空間プロデューサーの山本コテツさんの下で働くことになりました」

山本コテツさんは、かつてエムザ有明やADコロシアム、トゥーリアなどのクラブを手がけた、まさにミスターバブルのようなお方です。

「もう毎日すごかったですよ。当時は皆現金じゃないですか。1日の営業が終わると、机を挟んで座っていた前の人の顔が、札束の山で見えなくなった(笑)」

 

すごいなぁ。実は俣木さんと私は同い年なのですが、バブル真っ盛りの頃、私は傾きかけた出版社におり、「バブルって何だろう?」と思いながら、手取り11万円の月給で必死に働いていました。あ、ちなみにボーナスは5万円でしたよ(笑)

 

全く違う人生を歩んできた二人ですが、同い年というだけで、なんとなく安心できますね。今度は私もタイドアップしてきますから、また飲みに行きましょう。そしてファッションの話をしましょうね!

 

ジョージ・ワンさん

ジョージ・ワンさん

 BRIO ファウンダー&オーナー

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 THE RAKEの本誌でも何度も登場してもらっている北京のジョージ・ワンさんです。中国で唯一ともいえる、本格テーラード・クロージングのお店、BRIOを経営しています。彼のお店が扱っているのは、ダルクォーレ、アヴィーノ、ベーメルなど、世界でもトップクラスのブランドです。

 

ちなみに私が初めて行った外国は中国でした。1980年代前半のことです。香港から列車で深圳、そして広州の街に入りました。当時は、まだ人民服=マオ・スーツを着ている人が多くいて、日本とのあまりにカルチャーギャップに、びっくりしたものです。向こうは向こうで私の格好(その時着ていたのは、確かコム デ ギャルソン)が非常に珍しかったらしく、街を歩くと後ろから人が、ゾロゾロついてきたことを憶えています。

 

それから、30年以上が経ち、中国は彼のようなアジアでも指折りの洒落者を輩出するまでになりました。彼の着こなしの巧みさは、今までの中国人のイメージを覆すものです。われわれが見習うべきファッショニスタでしょう。

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ジャケットはヌンツィオ・ピロッツィ。6年前にナポリにてス・ミズーラしたものです。

「私はイタリアの服が大好きです。柔らかで、人が動いている時に美しく見える。イタリアで一番好きな街はフィレンツェです。ルネサンスの美と文化を感じます。ナポリもテーラーやレストランへ出かけるにはいい街ですが、現地に友人がいないと、楽しむのが難しいところがある」

 

そういうジョージさんは、ナポリにも友人がたくさんいて、そのネットワークがBRIOを立ち上げる際に、大きく役立ったようです。

「私はルビナッチの店を訪ねた、初めての中国人でした。当時のナポリでは、どこへ行ってもそんな感じでしたよ。だから珍しがられて、いろいろと聞かれたのです。そして彼らと友人になりました」

 

フレンチ・オックスフォードのボタンダウン・シャツは、ブライスランズのオリジナル。胸のポケットにフラップが付いているのが特徴です。

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パンツは日本人パンタロナイオの尾作隼人さんが作ったもの。生地はマーティン&サンズです。

「最初はちょっと細すぎるかな、と思ったので、尾作さんと話し合って、ゆったりめのシルエットにしてもらいました。日本人の作るものは、イタリア人とは違ったよさがあります。イタリア人はフィーリングでモノを作りますが、日本人はすべてにおいて正確ですね」

 

ベルトは、イル・ミーチョ。以前この連載にも出ていただいた、フィレンツェ在住の深谷秀隆さんのブランドです。これはBRIOのオリジナルだそうです。

 

メガネはアイヴァン。これも日本を代表するメガネ・ブランドの一つです。

彼のようなアジアの洒落者は、必ずと言っていいほど、日本のブランドを愛用してくれています。

今こそ官民挙げて、日本をファッションと職人の国として売り出す時だと思うのですが、いかがでしょうか?

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シューズはオールデン。黒のコードバン製です。

 

北京で生まれたジョージさんは、小さい頃からアートに興味があって、幼い頃は画家になろうと思っていたそうです。12歳のときにサンフランシスコに移り住み、サンディエゴの大学を卒業しました。ですから一般的な中国人とは、相当違う感性を持っています。

 

「中国ではビジネスの場でも、皆カジュアルな格好をしています。ジャケットにポロシャツといったスタイルが一般的なのです。ですからBRIOのようなショップは、なかなか難しいところがある。しかし顧客の平均年齢は、30歳くらいです。ですから、これから10年、15年と経ち、われわれの世代が社会の中心になる頃には、状況はきっと変わると思いますよ」

 

私も、そう思います。日本もかつてはブランド・ロゴ至上主義的なところがありましたが、市場が成熟するにつれて、派手さはなくても、クオリティのよいものに人気が移っていきました。きっと中国もそうなります。

ジョージさんは1980年生まれですから、今年36歳。まだまだこれから、の年齢です。彼のような若者が、これからのアジアの、そして世界のクラシック・ファッションを牽引していくのでしょう。

 

宮平康太郎さん

宮平康太郎さん

 サルト、サルトリア コルコス店主

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この一見強面の大男が、世界中で話題の売れっ子サルトだとは、誰も思わないでしょう。しかし、その装いを注意深く見れば、彼が只者ではないことがわかります。

 

フィレンツェの“サルトリア コルコス”は、いま最も勢いがあるサルトリアのひとつです。オープンしたのはたった5年前であるにもかかわらず、アメリア、ヨーロッパ、アジア、そして日本から引っ切りなしにオーダーが舞い込みます。その店主が、今回ご登場の宮平康太郎さんです。

「残念ながら、現在新しいお客様は、お受けすることができないのです。2017年に納めるものまで、すべていっぱいになってしまいましたから。クオリティを考えると、どうしてもそうせざるを得なくて・・」

 

人気の秘密は、丁寧なフィッティングとフィレンツェらしい意匠にあります。

「仮縫いは最低2回。納得しなければ3回でも4回でもやります。私の服は何十年も着ることが出来る、伝統的なフィレンツェのスタイルです。そしてお客様の肌の色、体型などを考慮して、こちら側からも積極的に提案をします。それがイタリア流のサルトのあり方だと思います」

 

実は私も、今回初めて一着作ってみたのですが、結構硬めのツィード地だったにもかかわらず、その着心地はとてもソフトに感じます。肩の上にきちんと乗っていて重さを感じず、シルエットが実にキレイなのです。

また彼の提案してくれたツィード地は、私の好みにぴったりでした。

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 ジャケットはもちろんサルトリア コルコス。自慢の生地コレクションから選んだ麻で作ったもの。

「廃業したサルトのデッドストックなどを買い受けて、もう600本くらいストックしています。私の生地コレクションは土臭く、くすんだ感じのものが多いですね。それが田舎であるフィレンツェの街が持つ色なのです。これが例えばナポリあたりだと、もっと明るいブルーなどが多いですし、ミラノだと濃紺や濃いグレイなど、都会的な生地を使うと思います」

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 パンツもコルコス。パンツは以前は自分でも縫っていましたが、今は齢80歳になるおばあちゃんに頼んでいるそうです。

「イタリアでは、すべてについて言えますが、特にパンツ職人は高齢化が激しい。このままだと100年の歴史を誇るパンタロナイオの歴史が終わってしまう」と警鐘を鳴らします。

 

リネンのタイとコットンのシャツもオリジナル。それぞれフィレンツェとナポリの工房へ発注しています。

「タイ生地も自分で探して来たものを使っています。自分でもネクタイやら、トランクスやら、作ろうと思えば作れるんですよ。古い職人は皆そうでした。やっぱりモノ作りが好きなのでしょうね」

 

時計はカルティエのタンク・アメリカン。ストラップをナイロン製の“夏物”に替えています。

「工房を持つきっかけを作ってくれた、イタリアの友人が持っていたものです。私が作ったスーツと交換しました。その人は当時はお金持ちだったけれど、その後ビジネスに失敗して、今はもうスーツは作れなくなってしまった。けれど友人として、いまだにちょくちょく会っています」

新しい客は取らないけれど、古い客は客でなくなっても大切にする。そういったところに、宮平さんの魅力があるのでしょう。

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シューズは、ステファノ・ベーメルで働いている“アキラ君”が作ったもの。

「名字は知らないんです(笑)。こっちは皆ファーストネームで呼び合っているから」

あ、ベーメルといえば“マサコさん”も有名ですよね。

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さて宮平さんの生まれは1982年ですから、今年35歳です。若いですね。私がかつて在籍していたメンズ・イーエックスが創刊した頃、彼はまだ日本の小学生だったことになります。それが今では遠いイタリアで立派なサルトになり、伝統文化を守って次世代に伝えていこうとしていのですから、本当に感慨深いものがあります。

そういえば、彼の家にも先日“次世代”生まれました。今、四ヶ月の男の子。子供のことを話すときは、さしもの強面も、目尻が下がりっぱなしでした。

 

野口強さん

野口強さん

スタイリスト、マインデニム・ディレクター

text kentaro matsuo photography natsuko okada

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カメラマンの岡田ナツ子が、なにやらニヤニヤ、モジモジしています。今回の撮影は、業界でも有名なイケメンなので、嬉しいのですね。やれやれ旦那がいるくせに、まったく困ったものですが、その気持ちはわからないでもありません。

野口強さんといえば、数々の雑誌や広告のディレクションをこなし、多くの芸能人のスタイリングを担当する超売れっ子スタイリストです。長身痩躯で、かつてはモデルとしても活躍なさっていた人なのです。

その彼が、今夏新しいデニム・ブランドをローンチして、話題になっています。それが“マインデニム”です。

 

「小さい頃から、デニムばかり履いて来ました。小学校4、5年生の頃には、近所のジーンズ屋に入り浸っていた記憶があります。その後ディスコで働いたり、アパレルでバイトしたり、資生堂の花椿のモデルをやったりしていましたが、自分が着るものは一貫してジーンズにTシャツでしたね。現在では、ジーンズは400本くらい持っています。ジーンズならば、ありとあらゆるものを試してきたと言えます」

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そんな野口さんがディレクションしたデニムですから、さぞや諸々凝っていると思いきや、デザインはとてもシンプルです。

 

「あくまでもシルエット重視、そして穿き心地のいいものを作りたかった。自分の周りには、スポーツ選手やダンサーなど、体型が他とはちょっと違う人が多い。ウエストは細いのに、腿がやたら太かったり。マインデニムはそういう人にも穿いてもらえるものを目指しました」

 

もう一つの特徴は、デニムなのにオーダーメイドが可能なところです。自社ファクトリーまで持っているとか。

 

「海外だとデニムのバリエーションってすごく多いのに、日本だとあまりない。そこでマインデニムでは、好きなサイズ、デザインのデニムをオーダーメイドで作れるようにしました。ボタンやリベットの素材なども変えられます。リアルシルバーやゴールドさえ選べますよ。ゴールドの場合、値段は100万円以上になりますが(笑)。それからデニムのスーツやタキシードも企画しているんです」

 

まさに今までにない、新しい時代のデニム・ブランドです。

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Tシャツはアンダーカバー。サイドにポケットが付いているので、とても便利だとか。

「ほとんど毎日、Tシャツばかり着ています。冬はこの上に、ライダースなどのアウターを羽織る。えっ? 持っているTシャツの枚数ですか? たぶん数千枚はありますね。もう見るのも嫌になります。それでも昨年、半分は処分したんですが(笑)」

 

時計はトキオ・クマガイ。1980年代に一世を風靡したブランドです。

「この時計は、当時のものです。昔買って、ずっと大切に使っていたのです。実は数年前に壊れてしまったのですが、同じモノを友人から譲ってもらって、当時のベルト職人に、ベルトとバックルだけ取り替えてもらったのです」

なるほど、ひとつのものを気に入ると、とことん付き合うのが“野口流”なのでしょう。実は私も、同じ時計を持っていました。これは猫シューズと並んで、今は亡きトキオさんの傑作だと思います。

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ブーツは、ラグス マックレガーとノンネイティブのコラボ。今夏購入したばかりです。

 

ジーンズは、もちろんマインデニム。スリムなシルエットですが、ストレッチ素材で「座敷でもラク」と。やっぱり、ディレクター本人が、一番似合いますね。

 

野口さんは、マインデニムの細身のモデルはほとんどを持っているそうですが、唯一ホワイトジーンズだけは、なかなか手が出せないそうです。

「いつも『今日は穿こう』と思うのですが、どうも気後れしてしまって。前にテレビで“20代、30代の女の子がキライな男のファッション”という番組をやっていて、その3位が“白いズボン”だったんです(笑)」

 

名立たるモテ男が、そういうことを気にしているところが面白いですね。そんな気さくで飾らない人柄が、この方の最大の魅力でしょう。

 

「マインデニムは、服好きから、何を着ていいのか、まったくわからない人まで、いろいろな人に穿いて欲しいのです。とにかく一回ショップに足を運んで、試着してみて下さい。それだけで帰ってもいいからさ(笑)」

 

私の目にもマインデニムは、シルエットの美しさと、素材のよさ、縫製の巧みさを併せ持った、希有なブランドに映りました。今度の休みは、千駄ヶ谷までジーパン・ピクニックされることをオススメします!

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写真のデニムは最も定番なストレートスリム・タイプ。カラーはインディゴとブラック。

各¥35,000 Minedenim http://minedenim.jp/

2-5-8 IWAI BLDG. JINGUMAE, SHIBUYA-KU, TOKYO,

TEL.03-6721-0757

直井茂明さん

直井茂明さん

シャロン クリエイティブ・ディレクター、サルトリア

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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  テーラーの直井茂明さんのご登場です。私が最近ちょくちょく顔を出している骨董通りの“シャロン”にて、注文服を作っています。彼のキャリアのスタートは、私のお気に入りの(腐れ縁の?)テーラー、ペコラ銀座でした。専門学校を卒業してからすぐに入社し、服作りの面白さはペコラ佐藤から習ったといいます。直井さん曰く、

「佐藤さんは、大変厳しい人でした。彼がいるとピリピリして、現場が引き締まるようでした」ということですが、本当かね?

 

その後、手縫いに力を入れている縫製工場で、水落卓宏さんに師事したり、大手アパレルメーカーなどを経て、伊勢丹で自らのブランドを展開し、シャロンのオープンにも参加しました。

私と同世代のペコラ佐藤が1967年生まれなのに対して、直井さんは81年生まれ。一回り以上も下の人間が、もはや「巨匠」と呼ばれつつあるのですから、われわれも年を取るわけです(笑)

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 ジャケットは、もちろん自分で作ったもの。生地は、シルク×ウールのカノニコです。

「初めて生地を見た時に、このありそうでない小豆色に、一目惚れしました」

直井さんの服の特徴は、袖や肩のいせ込み量の多さ。キレイに盛り上がった肩山は、ひと目でハンドメイドの仕立て服だとわかる意匠です。

 

コットンパンツも自ら仕立てたもの。

「スーツとして作りましたが、こういう生地だと、上下バラバラでも着れますよね」

 

シャツはジ・イングレーゼ、タイはジュスト・ビスポーク。ベルトはティベリオ・フェレッティ。どれもシャロンで扱っているものです。

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 時計はゼニス。

「初めて買った、ちゃんとした時計です。シンプルなところが気に入りました」

ローマ数字の文字盤が美しいですね。

 

シューズは、丸山貴之さんによるパターンオーダー。

「一足目でしたが、まったくストレスがなく快適です。シボのあるこの革が気に入ったのです」

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 直井さんは、かつて人生の進路について、大いに迷ったことがあったといいます。

「幼い頃から、ファッションは大好きだったのですが、それと同じくらい料理をすることが好きでした。家の台所には、小学校の頃から入っていました。だから洋服の道に進むか、料理の道に進むか、真剣に悩んだことがありました」

悩み抜いた結果、洋服を本業とし、料理は趣味とすることにしたそうです。

 

「私の実家は茨城にあったのですが、目の前が大きな池だったのです。そこで釣りを憶えました。釣って来た魚を捌くようになって、だんだんと料理に夢中になって行きました。今でも魚を丸ごと買って、身はサシミにして、骨でダシを取って吸い物を作る、といったことをやっています」

 

なるほど、これは本格派のようです。そこで「一番得意な料理は?」と聞いてみると、

「それはスパゲティ・ボンゴレです。イタリアン、特にパスタ類は得意で、クリームたっぷりのソースなども作るのですが、実はボンゴレのようなシンプルなものほど、難しいし奥が深いのです」と。

 

「それでは、直井さんの作るスーツを料理に例えると、スパゲティ・ボンゴレですか?」と訪ねると、

「そうですね。シンプルかつ奥深くありたいと思います」と。

まさにクラシック・スタイルの正鵠を射たお答えですね。

実は今回、私も一着作ってもらったのですが、その「お味」のほうは、追々別の場にてリポートしたいと思います。