From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

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黒川修さん

黒川修さん

 メゾン・ディセット代表取締役

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ポーツ1961、エミリア・ウィクステッド、トマジーニ、クラウディア・リー、ヴィオネなど、10近いブランドを日本に輸入しているメゾン・ディセットの代表、“クロちゃん”こと、黒川修さんのご登場です。私は黒川さんが、八木通商という輸入商社にお勤めの時に知り合いました。イタリアの駐在員をなされている時は、よくミラノの街を案内してもらったものです。

 

その後、バルマン、アレキサンダー・マックィーンなど、さまざまなブランドの日本責任者を経て、現在はご自身の会社を経営しています。華麗なる経歴をお持ちなのは、やはり語学が得意だからでしょう。

 

「建築家をしていた父の仕事の都合で、小学校に入る直前まで、アメリカに住んでいました。現地の幼稚園へ通っていて、周りにはドイツ人、イスラエル人、エジプト人など、いろいろな国の友達がいました。基本英語でしたが、消防車だけは、私がかたくなに日本語で言っていたので、終いには、幼稚園中の生徒が“ショーボーシャ”という単語を使うようになってしまった(笑)」

 

なるほど、子供が言葉を覚えるプロセスって、面白いですね。英語に関しては、その後仕事で使うようになって、もう一度苦労して学び直したそうです。

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ジャケットはボッテガ・ヴェネタ。

「デザイナーのトーマス・マイヤーが好きなのです。ベーシックのなかに、突然抽象的なツイストがあって面白い」

黒川さんは、トラッドとモードの中間がお好きです。

 

シャツは、ご自分で扱っているポーツ1961。

「このブランドはもともと1961年に、ルーク・タナベという日系カナダ人が始めたものです。彼は『男には、10種類のシャツが必要だ』という哲学を持っており、ナンバー1から10までの番号が振られたシャツをコレクションの中心に据えていました。ごくプレーンなものからスモーキング用まで揃っており、これはそのうちの一枚です。現在でも毎シーズン素材を変えつつ、定番商品として展開しているのです」

なんとも、面白いブランドですねぇ。

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パンツはランバン。

「ランバンのルカ・オッセンドライバーも、好きなデザイナーの一人です。ここのパンツは、とにかく私の体型に合うのです」

 

時計はベダ&カンパニーのナンバー8。10年ほど前に購入したもので、ポイントはクロコダイル製のイントレチャートのベルトです。

「このベルトが気に入って買ったのですが、その後廃番になってしまって。メーカーに聞いたら、もう作っておらず、在庫もないというのです」

おやおや、これはぜひ復活させてもらわないと・・。

 

シューズはオールデン。

「オールデンは6足くらい持っています。トラッドからモードまで、こんなに何にでも似合う靴は、他にありません。あとはジャンヴィト ロッシやマノロ ブラニクも好きですね」

黒川さんは、かつてマックスヴェッレの代理店もしていたことがあるので、靴には一家言おありです。

 

今日はブラックとネイビーの組み合わせ。

「ネイビーが死ぬほど好きなのです。いつもこんな格好ばかりしています」

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さて今ではファッションの世界で活躍されている黒川さんですが、大学入学時は、ファッションか音楽かで、ずいぶんと迷ったことがあったとか。

「子供の頃から、ずっとピアノをやっていたのです。高校の三年間は、先生について、ジャズ・ピアノを勉強していました。ボストンの学校へ入って、プロを目指そうかどうか、真剣に悩みました」

 

そう言いつつ、BGMとしてかけてくれたのは、チック・コリアの“オン・グリーン・ドルフィン・ストリート”。

 

「これは一番好きな曲のひとつです。今は家にピアノがないので、専ら西麻布のカラオケ・バーに行ったときに、弾くくらいになってしまいましたが・・」

 

黒川さんが、そんなにピアノが上手だとは、初めて知りました。ここぞというとき、モテるでしょうねぇ。一度彼の演奏を聞いてみたいです。

 

「私がジャズ・ピアノを好きになったのは、母方の祖父の影響です。とても粋な人で、家に行くといつもジャズやラテンの曲がかかっていたのです。スーツはいつも銀座・壱番館で仕立てていましたね。80歳を過ぎても、プラダを着ているような人でした」

 

撮影した南青山の事務所は、先日オープンしたばかり。これからも独自の視点で選んだいいものを届けていきたいと、決意を新たにされています。

「オンスケジュールでショーを行うブランドにフォーカスしています。ファッションへの憧れをストレートに伝えたいという思いがあるので、ランウェイ・ブランドが好きなのだと思います」

 

おじいさま譲りのアーティスティックなセンスと、とびきりの笑顔が、この方の魅力といえましょう。

大和一彦さん

大和一彦さん

B.R.SHOP/B.R.ONLINE オーナー、エグゼクティブプロデューサー

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なんだか今回はちょっと勝手が違います。なぜならこの大和一彦さんこそ、私がこのブログを始めるきっかけだった人だからです。当ブログは、かつては大和さんの経営するB.R.ONLINEのなかの一コンテンツでした。B.R.ONLINEは、膨大なトラフィックを誇るファッション・サイトで、そのお陰で、私のブログも、それなりに有名になったのです。いわば、もともとの雇い主を取材しているようなもので、ガラにもなく、ちょっと緊張しました。

 

B.R.SHOPは、神宮前に実店舗を構える、れっきとしたセレクトショップですが、フツウのセレクトとは、ひと味違います。ウェブサイトでの売上げが、非常に多いのです。

「メディア事業も行っていますので広告売り上げを含めると、ウェブでの売上げと店舗での売上げの比率は、7:3といったところでしょうか。ウチがウェブで洋服を売り出したのは、1997年のことです。当時は『ホームページって何?』という人もいたくらい。もしかすると、日本で最も早くネットで洋服を売り出したのは、われわれかもしれません」

 

その後のアプローチも、実にユニークです。

「メンズのトレンドというのは、ほとんど気にしていません。それよりも、レディスを見る。レディスのトレンドのなかで、メンズに受け入れられるものは何か? と考えます。例えば今季は、ゆったりしたロングコートがよく売れていますが、これもレディスの流れを見て、大量発注したのです。逆に巷で流行っているワイドパンツは、一部取り入れるだけに留めました。これもレディスの世界では、ワイドとスキニーが両立しており、きっとメンズでもそうなると思ったからです」

 

 あらゆる意味で“先見の明”がある方だと申せましょう。

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スーツは、デ・ペトリロ。素材はストレッチの効いた細畝コーデュロイです。

「B.R.SHOPでは、スーツを普段使いするという提案をずっと続けて来ましたが、ようやく最近受け入れられつつありますね。こんなカジュアルなスーツが売れています」

 

ニットはクルチアーニ。

「これも何千枚も売れた定番商品ですが、今季はちょっとだけ丈を長めにしました」

この案配が絶妙です。

 

スカーフは、キンロック。

「私のような細身の人間は、インナーがニットだけだとちょっと寂しい。だからクルーネックには、なるべくスカーフを合わせるようにしています。エルメスのヴィンテージなども、たくさん持っています」

トレードマークでもあるメガネは、フォーナインズ

「フォーナインズには、オーダーレンズというものがあるのです。それぞれの人の顔に合わせてレンズを作ってくれるシステムで、どこを見ても見やすい。他のものをかけると疲れてしまいます。昔はたくさんのメガネを持っていましたが、いまはフォーナインズばかりです」

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ブレスレットはエルメス。

「アクセサリーやスカーフ、それからスニーカーやTシャツなども、妻とシェアすることが多いですね。サイズが似ているので、着回せるのです。それに何より、買う時に言い訳ができるじゃないですか(笑)」

この点ばかりは、羨ましい限りです。私が妻とシェアできるのは、家のローンくらいです・・

 

時計はロレックスのエクスプローラーⅠ。この時計には、非常に思い入れがあるとか。

「20歳になった時に、父に買ってもらったものです。一級建築士、そして不動産で成功した父は、常に私の目標なのです。父はすでに他界してしまいましたが、私のビジネスが父に認めてもらえるレベルに達するまで、ずっとしていようと思っています。残念ながら、まだまだですが」

シューズは、ジョン ロブ

「洋服屋にはエドワード・グリーンが好きな人が多いけれど、当店の顧客である経営者の方々には、圧倒的にジョン ロブが人気です。ジョン ロブだけが持つ、独特の“色気”に惹かれるのでしょう。私もその一人です」

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 一見おっとりして穏やかな印象の大和さんですが、その人生は波瀾万丈でした。

「小さい頃は、家族で小さなアパートに住んでいました。ところが中学生あたりで父が事業で成功し、高校生の頃には、毎月の小遣いとして相当額を貰うほどになりました。今考えると本当に恥ずかしいことなのですが、当時は高校生のくせに、ずいぶんと贅沢をしていました。洋服代には、学生としてはありえないような金額を使っていましたね。ただ、この件に関して母親はいつも反対していました」

 

しかし、お父様のビジネスはかなり厳しい時期もありました。

「いろいろと、とんでもない目に遭いました。今まですり寄ってきた方でそんな時に豹変する人もいることを知っていますよ(笑)。でもそのお陰で、私はリッチな人の気持ちも、そうではない人の気持ちもわかるつもりです。それが今のビジネスに、役立っていることは、言うまでもありません」

 

そんな人生のなかで見つけたのは、家族の絆ということ。

「私は家族というものに対して、人一倍思い入れがあります。楽しい時も、苦しい時も、父と母、そして私と妹は、常にひとつの家族として一緒にがんばって来ました。だからこそ、父に報いたいという思いが強いのです」

 

ネット通販の先駆者、セレクトの異端児・・その心のなかに秘められた、熱いハートを感じたインタビューでした。この先も、大和さんの見ている未来を、フォローしていきたいと思っています。

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小学校入学式のときの大和少年。お洒落だったお母様が着せたのは、真っ白なスーツ!

大久保篤志さん

大久保篤志さん

 スタイリスト、ザ スタイリスト ジャパン®ディレクター

text kentaro matsuo  photography natsuko okada

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たぶん日本で一番有名なメンズのスタイリスト、大久保篤志さんのご登場です。私が初めて大久保さんとお仕事をさせて頂いたのは、今から20年ほど前、大久保さんが雑誌メンズ・イーエックスの表紙を担当されていた時のことです。

当時から、大久保さんは“大御所”と呼ばれていて、ペーペー編集者だった私は大いに緊張したものです。それから20年間、ずっとフロントランナーとして走り続け、今でも業界を代表するスタイリストなのですから、大したものです。

 

ここ10年ほどは、ご自身のブランド“ザ スタイリスト ジャパン®”のディレクターとしても活躍されています。

「最初は1着のボタンダウン・シャツから始まった。自分が着たいと思えるような分厚い生地のものがなかったから、作っちゃったんだ」

それから年を追うごとにコレクションは広がり、今ではトータルにコレクションを展開するブランドに成長しました。

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帽子はボルサリーノ×ザ スタイリスト ジャパン®のダブルネーム。

メガネも白山眼鏡店×ザ スタイリスト ジャパン®。

ベルトもHTC×ザ スタイリスト ジャパン®。

コラボ商品は他にも、キジマ タカユキとの帽子や、ハリウッド ランチマーケットとのバンダナなどがあります。

「ウチはダブルネームの商品が多いけど、たいてい個人的な繋がりでやってもらっているよ」

大久保さんのキャリアから考えて、そのネットワークは業界随一でしょう。

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シャルはダブル アール エル。

ネクタイは50年代のヴィンテージ。

 

ホースシュー・リングはテンダーロイン。

時計はゴールドのロレックスGMTマスター。1978年のもので、ワンミニッツギャラリーで入手されました。

 

シューズはオールデンのコードバン・ブーツ。

「靴はボリュームのあるヤツが好きで、オールデン、トリッカーズ、ヒロシツボウチしか履かない。これはもう10年は履いているかなぁ」

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 相変わらず流石のコーディネイトです。撮影はご自身の仕事場にて行ったのですが、30年間にわたって集めた、数百着ものワードローブは圧巻でした。

 

しかしそんな大久保さんも、かつてはたった1着の服を入手するのにも、苦労していた時代があったとか。

 

「俺が生まれたのは、北海道の枝幸町歌登というところ。旭川まで出るのに3時間もかかる田舎で、とにかく何もなかった。中高生の頃はロックが大好きで、ストーンズから始まって、ディープパープルやツェッペリン、ピンクフロイドなんかを聞いていた。ラジオで曲をチェックして、旭川からレコードを取り寄せて、雑誌『ミュージックライフ』で写真を見るんだ。それらを照らし合わせて『ああ、この人たちは、こんな格好をしているんだ』って初めてわかるんだよ。ネット時代じゃ、考えられないよな(笑)」

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そして満を持しての上京ですが・・

「ロンドンブーツにパッチワークのデニムパンツを履いて、得意顔で東京にやって来たんだが、もうすっかり時代遅れだった(笑)」

 

その後、原宿のカジュアルショップでバイトしたり、某大手アパレルへ就職したりしますが、

「まったく会社員には向いていなかった」とわかり1年半で挫折。

 

そんな時に、人生の転機が訪れます。

「友人の紹介で、ポパイのファッション・ディレクターだった北村勝彦さんのアシスタントになったんだ。最初はポパイ、その後アンアン。どちらも絶頂期で、スタイリストの仕事は本当に楽しかった。1980年代はいい時代で、好きなことがなんでも出来た」

 

その頃作られた『スタイリストの本』という本を見せて頂きましたが、スタイリスト自らが企画・キャスティング・撮影のすべてを任されるという一冊で、当時の自由闊達とした雑誌業界の雰囲気が伝わって来るようでした。

 

「仕事が終わると、いつもトゥーリア(かつて六本木にあったディスコ)に行っていた。まるでパトロールのように(笑)。必ず友人がいるので、それから一晩中のハシゴの始まり。最後はレッドシューズが多かったな。とにかくよく遊んだよ」

 

スタイリストになってからの30余年間は、ずっと突っ走って来たと語る大久保さん。今では日本を代表するファッショニスタとして、確固たる地位を築かれましたが、その基本は変わっていないといいます。

「音楽とファッション、今でもそれしかない。本を見ながらあれこれチェックして、レコードを買って、それを聞きながら洋服を作っているときが、最高に幸せなんだ。考えてみるとやっていることは、北海道にいた頃と何にも変わってないな(笑)」

 

このひたむきさと変わらない姿勢が、フロントランナーで居続けられる秘密なのでしょう。

藤原寛一さん

藤原寛一さん

 ギャレット専務取締役

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 ギャレット専務の藤原寛一さんのご登場です。ギャレットというのは、ソックスをはじめとして、キャップ、バッグ等、さまざまなファッション・アイテムを扱う総合アパレルです。グループ全体で400人もの従業員を抱えています。自社製品の研究室まで擁しているから驚きです。しかし、25年前に藤原さんが入社した時は、大分様子が違っていたようです。

 

「私が入った大阪支社には、社員が3人しかいませんでした。会社全体でも、15人くらいだったと思います。扱っていたのはソックスだけでした」

 

当時、会社は大変苦しい状況で、起死回生をはかって東京と大阪に支社を出したばかりだったのです。藤原さんは、そこへ就職してしまったというわけです。

 

「ある日社長に言われました。『お前、今からラスベガスのMAGIC(世界最大級のファッション展示会)へ行って来い。そして何でもいいから買ってこい』と。で、いきなり100万円を渡されたのです。『この100万を101万円にしろ』とも言われました。そこで私はその100万円で、帽子を買って帰ってきました。それが当たったのです。そこからさまざまなビジネスが広がっていきました」

 

 25年間で会社は20倍以上に成長したのですから、まさに倍々ゲームですね。その着こなしも、成功したビジネスマンに相応しいものです。

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 スーツはサルトリア セミナーラ。フィレンツェの名店でスミズーラしたものです。

「始めはリヴェラーノで作ろうと思っていたのですが、知り合いに薦められてセミナーラにしました。この色が気に入って」と藤原さんが言うと、すかさず横のスタッフから「いつも同じ色ばかり買われますよね」とのツッコミが。でもお洒落な人ほど、そうなんですよね。

 

シャツはバルバの“ブルーノ”というモデル。

タイは加賀健二さん率いるセブン フォールドです

「先日フィレンツェ店がオープンした時に買いました」

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 時計は、オーデマ ピゲのロイヤル オーク。私とお揃いです。ファッション界には、本当にロイヤル オークをしている方が多いですね。

 

シューズはエドワード・グリーン。1年のうち9割は茶色、そして8割は、スエードの靴を履くそうです。イタリア流の洒落たドレスダウン術です。

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そしてソックスはギャレットオリジナルのgark.(ガーク)というブランド。

「この商品は特許を持っています。履き口のところがナイロン製になっていて、締め付けがキツすぎません。立体的にカカトをホールドする形になっていて、シリコンストッパーが付いていないのに脱げにくいのです」

 

 実は私も一足プレゼントしてもらったので、いま同じソックスを履いてこの原稿を書いているのですが、なるほど快適です。シューズインソックスでお悩みの貴兄はお試しあれ。

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 見事なアズーロ・エ・マローネのコーディネイトですね。お顔までマローネ色によく焼けているので、理由を聞くと、一昨日までカプリ島でバカンスだったそう。

「1年に1度、家族とカプリへ行くのです。プンタ・トラガーラというホテルがあって、そこのプールで一日中ぼーっとしている。とにかく景色が素晴らしいし、来ている人たちもエレガントで、気に入っています」

カプリで休暇とは羨ましい限りです。

 

しかし普段の藤原さんは本当に仕事一筋。仕事のことを伺うと話は止まりませんが、「では、プライベートは?」と聞くと、「う〜ん」と黙り込んでしまいます。

「とにかく今、仕事が楽しくて仕方がない。25年間一生懸命やってきたので、60歳までの数年間は、自分の本当にやりたいことをやっていきたい」

 

それは実用衣料を超えた、本物の高級ファッションだとか(先日ご紹介したACATEもその一環です)。どうやら第2弾、第3弾もあるようで、しばらくは藤原さんから目が離せません。

沖哲也さん

沖哲也さん

 ACATEブランドディレクター、FER BLEU代表取締役

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新ブランドACATEディレクターの沖哲也さんです。沖さんは、もともとセレクトショップ、バセットウォーカーのPRをなさっていたので、ご存知の方も多いと思います。今回初めて知ったのですが、沖さんのご出身は、東京・墨田区押上だとか。

「スカイツリーのたもとで生まれました。もう、ものすごい下町です。家の周りには、メリヤス問屋がたくさんありました。私の母親はお洒落が好きな人で、私が小学校の頃は、よくイッセイ ミヤケなんかを着ていましたね。その影響で私もファッションが好きになりました」

 

その後、文化服装学院に入学し、オートクチュールを学びます。

「ところが当時の下町では、家業を継がず“文服”なんて、と思われていた。しかもその頃はDCブーム全盛で、私も金髪でスカートを履いていました。もう押上では、塩をかけられる存在でした(笑)」

 

バセットウォーカーに入社されてからは、まず販売を担当されました。

「入社当時は、いくら接客しても、まったく服が売れませんでした。“お客様の財布と自分の財布は違う”という当たり前のことに気付いてから、少しずつ売ることが出来るようになりました」

 

それからPRも掛け持ちするようになりましたが、予算はゼロだったそうです。

「いろいろと考えたあげく、私は編集者やスタイリストの『三河屋さんになろう』と思いました。つまり、彼らの御用聞きということです。自ら企画やウケそうなネタを作って、彼らのところへ持っていきました。私自身の自宅に雑誌編集者を呼んで、編集会議をやったこともあります」

 

こうして生まれた大ヒットが、シューズ・イン・ソックスです。

「当時は夏になると、誰もが裸足でシューズを履いていました。でも、すぐ臭くなるし、衛生上よくなかった。そこで、ローファーの内側に履けて、外からは見えないソックスのアイデアを思いつきました。ですが、そのアイデアをメーカーに持っていっても、相手にしてもらえなかった。そんな時にイタリアのマレルバ社に、冷え防止のためのインナーソックス(靴下の下に履くソックス)があることを発見しました。これがローファー用としてぴったりだったのです。靴を履くと外から見えなくて、まるで素足のようでした。『これだ!』と思って、ぜんぶ買い占めました。すると懇意にしていたスタイリストの浅野康一さんが気に入ってくれて、雑誌メンズ・イーエックスの巻頭で紹介してくれた。そうしたら、もうバカ売れで、ついには“お一人様一足しか売れません”と貼り出す始末となりました」

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 スーツはオラッツィオ。

「マットなベージュなのに、ウール素材というところが気に入って」

 

シャツはバルバ。

「最近はバルバの“ブルーノ”というモデルが気に入っています。襟の形がいいし、エッジぎりぎりにステッチが入っているところが好きなんです」

 

タイはマリネッラ。

「ちょうどいい茶色。フレスコタッチが気に入って」

 

チーフはエルメス。

「シルクチーフはエルメスのみ。レギュラー品も購入しますが、パリの蚤の市クリニャンクールなどでも買い集めています」

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時計はチュードル。ちょっと小さめのMINI SUBですね。

「この時計は14歳のころから愛用しています。昔、香港で祖父に買ってもらったものです。第二次大戦中に中国へ出征していた祖父は、かの地をもう一度訪れたいという希望があり、なぜか私を伴って二人で中国旅行へ出かけたのです。祖父は大正モダンを感じさせる粋な人でした。それ以降も時計はいろいろと買いましたが、結局これだけが残りました」

 

シューズはクロケット&ジョーンズ。

「みんなタッセル履いているから、嫌だなーと思いつつ・・(笑)」

 はい、当日の私もクロケットのタッセルを履いていました。

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 そしてクラッチバッグはACATEです。

「日本のみならず、世界で売っていけるカバンを作りたい、とクライアントであるGRADYsrlの赤石社長より依頼がありスタートしたブランドです。工場探しから始めて、何回もサンプルを作って、ようやく満足のいく形となりました。あえてバッグデザイナーは使いませんでした。なぜならデザイナーが作ると、どうしてもバッグ自体が主張してしまうからです。われわれがやりたかったのは、コーディネイトの中に自然と取り入れられる目立たないバッグでした。ファースト・コレクションは4型8色のみ。しかも売れ筋(35〜40cmのブリーフケース)はあえてやりませんでした。その方がかえってコンセプトが伝わると思ったからです」

 

6月のピッティにも出展され、国内外30社以上の受注を得ました。

「今までのレザーブランドにはないものを作ろうと思っています。セカンド・コレクションでは、“ロングホーズ・ケース”を作ろうと思っています。旅行中などに長靴下を収納するためのものです。でも、そんなもの誰も見たことがないから、どういう構造にしようかと、いま思案中なのです(笑)」

 

この自由な発想から生み出されるACATEに、ぜひ注目して下さい!

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ACATEのバッグ、左:H35×W50×D18cm 右:H35×W48×D14cm

Acate

http://acate-borsa.it/

清水宗己さん

清水宗己さん

 編集者、ライター、コピーライター、放送作家、スキッパー、超兄貴

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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さまざまな肩書きを持つ、清水宗己さんのご登場です。

私が清水さんと初めてお会いしたのは、今から20年以上前のことです。当時は雑誌メンズ・イーエックスの創刊スタッフとして活躍されており、圧倒的なパワーと造詣で、編集の現場をグイグイと引っ張っておられました。その頃の私はまだ20代のぺーぺーで、清水さんに言われるがままに駆けずり回るばかりで、その圧巻の仕事ぶりを、目を丸くして眺めていたものです。

 

清水さんは、海外を転戦するような本格的なレースにも参戦する、プロのヨットマンでもありました。いつも真っ黒に日焼けした肌と、筋肉隆々の体、そして豪快な性格から、皆に“超兄貴”と呼ばれていました(兄貴を超えた兄貴ということで)。今回久しぶりにお会いしましたが、その超兄貴っぷりに、いささかの衰えもありません。

 

撮影現場にTシャツと短パンに現れた清水さんは、開口一番、

「いやぁ、沖縄でレースに出て来たばかりなんだけど、いろいろやっちゃってさぁ・・・手首をひねって手がパンパンになっちゃったよ」と破顔一笑。

見れば左手は大きく腫れており、膝小僧には大きなバンソウコウが貼ってあります。まるでガキ大将(失礼!)のようなお姿です。しかしこれで御年70歳なのですから驚きです。

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コットンのスーツはバタク。生地は昔のハリソンズを使って、アメトラ風に仕上げてあります。

「いつもはTシャツに短パンばかりだけど、ヨット関係はパーティも多い。そういう時には、スーツも必要なんだ。しかし胸板が厚くて骨太なので、既製品だと合わない。そこで友人から薦められたバタクで、一着誂えてみることにしたんだ。実際に作ってみたら、オーソドックスで着やすくて、すごくよかった。今ではスーツ3着に、ブレザーも持っているよ」

 

ボタンダウンのシャツもバタク。素材はギザのロイヤルオックス。

 

メガネはルノア

「ヨットに乗りすぎて目が焼けてしまった。だからいつもサングラスが必要なんだ。ルノアはシュツットガルトにある工房へ取材に行ってからファンになった。これはグローブスペックスの岡田哲哉さんに作ってもらったもの。彼は検眼が上手だから安心して任せられるね」

実は私も、岡田さんに作ってもらったルノアを愛用しています。

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 時計はジラール・ペルゴのトノータイプ。

「買ったのは90年代前半かな。当時のメンズ・イーエックスの時計担当に薦められてね。前社長のルイジ・マカルーソ氏とは何度も会ったことがある。もう死んじゃったけど、いい人だった・・」

 

シューズはジェイエムウエストン。90年代にずっと通っていたジュネーブで買ったもの。

 

「若い頃はVANの影響で、アメリカン・トラッドが流行っていた。昔はアメ横へ行って、ハナカワや小池といった店でよく買い物をしたな。今でも基本的にはアメトラが好きだ」

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清水さんは、学生時代からコピーライターとして仕事を始め、スタヂオ・ユニ、サン・アド(元サントリー宣伝部)、ブルータス、ターザンなど、超一流処を渡り歩いて来られました。

「サン・アド時代に、オーストラリアからハワイまで回る、大きなヨットレースに出場できるチャンスがあって、どうしようか迷っていたら、当時の上司に、『そんなもの簡単だ。今すぐ辞表を書け。滅多にないチャンスなんだろ』と言われた。それが開高健さんだった」

 

その後、1980~90年代にかけて、日本の広告・マスコミ業界が、最も輝いていた時代を駆け抜けました。

「80年代には、毎月のようにロサンゼルスへ行っていた。当時は円が強かったから、日本でロケするより、その方が安かったんだ。札束を抱えていって、外国人スタッフ全員に、毎日現金でギャラを払っていた。パタゴニアのイヴォン・シュイナードと知り合ったのもその頃。ベンチュラの本社は肉屋の建物をリノベしたもので、近くには社員のためのアウトレットがあった。そこでずいぶんと買い物をしたよ」

 

小さくまとまってしまった今の編集者と違って、清水さんの時代は何もかもが豪快です。

「南米のインディオの結婚式を取材することになったんだ。ところが直前になって、『カネがなくて、式が挙げられない』という。『どうすればいいんだ』と聞いたら、『とりあえず牛一頭あれば、なんとかなる』ときた。だから本当に牛一頭買ってプレゼントしたんだよ。その牛を丸ごと焼いて食べたんだが、中の方は生焼けで、アレには閉口したなぁ(笑)」

 

こういったエピソードは、枚挙に暇がありません。

 

さらに清水さんは、横浜の伝説のライダース・クラブ“ケンタウロス”のオリジナル・メンバーでもあります。

「ボスの飯田さんは、もともとは関内の本屋の息子なんだ。東洋大の哲学科を出たインテリでね。そこで声をかけられてケンタウロスに入った。だからイメージとは違うかもしれないけど、ケンタウロスはとても知的なクラブで、メンバー13人のうち4人はクリエイターだったんだ。雑誌“ライダース クラブ”の創刊を手掛けたのも、ケンタウロスのメンバーたちだった」

 

昔の雑誌は面白かったと言われますが、それは清水さんのような人たちが手掛けていたからでしょう。

「面白い人が作る本が、面白い」

現代のサラリーマン編集者としては、反省することしきりです。

 

超兄貴! また、いろいろと教えて下さいね!

中寺広吉さん

中寺広吉さん

バタク代表取締役、モデリスト

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 ビスポークテーラー、バタクの中寺広吉さんのご登場です。撮影と取材は、新宿御苑に臨む、バタクのビスポーク・サロン“batak NAKADERA”にて行ないました。

室内にはアイリーン・グレイやジオ・ポンティの名作、および北欧のアンティーク家具が並び、その上にラリックのオブジェが飾ってあります。アキュフェーズのアンプで鳴らされるB&Wのスピーカーからは、静かにバッハやビル・エヴァンスが流れています。花瓶に活けられているバラの花の赤と、ビロードのカーテンの濃紺が、美しいコントラストを成しています。そして窓外には、御苑の緑が一面に広がっています。

 

私もいろいろなテーラーへお邪魔しましたが、こんなに素敵な空間は見たことがありません。ここのインテリアに接しているだけで、オーナーの中寺さんが並々ならぬ感性の持ち主であることがわかります。

「建築やインテリアは大好きです。もしかすると服より好きかもしれない(笑)。でも、そういったことは大切だと思うのです。日本のテーラーの技術は、確かに高くなりました。しかし、洋服しか知らない人が多過ぎる。キレイに縫ってはあるけれど、雰囲気がないのです。その点、まだまだヨーロッパには見習うべきところが多いと思います」

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 バタクの創業は1994年。今でこそ、日本にはたくさんのお洒落系テーラーがありますが、当時はテーラーといえば、敷居の高い老舗か町の仕立屋しかなく、バタクは孤軍奮闘といった有様でした。ちなみに私の古巣メンズ・イーエックスの創刊は1993年ですから、同じような時期に、同じようなことを始めたのです。中寺さんとは年齢も同じなので、昔の話をすると、共通点がとても多いのです。

「小学校の頃、ドラマ『傷だらけの天使』を見て衝撃を受けました。主演の萩原健一さんのスーツがとにかくカッコよかった。作っていたのは、タケ先生(デザイナー、菊池武夫さん)率いるメンズ・ビギでした。その後のDCブームを経て、私もメンズ・ビギへ就職することになりました。パタンナーをやっていましたが、その頃はすでに自社の服には興味がなく、英国の1930〜40年代の古着ばかり着ていました。デザイナーになろうとも思いましたが、どうしても実際のモノ作りをやりたくて、モデリストの道を選びました」

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スーツはもちろんバタク。シャークスキンの生地はゴールデンベール(希少な羊毛原糸)を使ったテーラー&ロッジ製で、バタクのオリジナルだそうです。

シャツもバタク・オリジナル。生地はトーマス メイソン製。

タイもオリジナル。7センチ幅のナロータイです。

 

時計はヴァシュロン・コンスタンタンのアンティーク。1930年代製だそうです。

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タッセル・シューズは英国フォスター&サンズのビスポーク。

「やはり英国の靴が好きなのです。最近はフォスター&サンばかりですね。日本に定期的にトランクショーに来るので、その時にオーダーしています」

 

「今日のコーディネイトは、地味な50年代の感じを意識しました。ファッションにおいては“足す”よりも“引く”ほうが好きですね。シャツは9割は白、靴も8割は黒です」

とクールに仰います。

 

うーむ、これまた完璧なスタイリングですねぇ。ここまでいろいろと完璧だと、ちょっとイジワルな質問もしてみたくなります。

「中寺さんというと、ストイックなスーツのイメージですが、カジュアルは着ないのですか?」との質問には

「いえ、もちろん着ますよ。アメカジが基本です。休日はリーバイスの501やフレンチラコステのポロ、コンバースのジャックパーセルなどを愛用しています」とのお答え。

さらに突っ込んで、「私には、いま6歳になる息子がいるんですが、保育園時代は、チャイルドシートのついたママチャリで送り迎えをしていました。中寺さんにも娘さんがいらっしゃいますよね? まさか、ママチャリは乗ったことありませんよねぇ?」と問うと、

「いえ、実は乗っていましたよ。アレは本当にダサイんですが、他に方法がなかったので。『誰かに見られたら嫌だなー』と、いつも思っていました(笑)」

ああ、なんとなくそれを聞いて安心しました。ママチャリをこいでいる中寺さん、見たかったです。

 

P.S.さて、ずっと近しい世界にいた中寺さんと私ですが、実は洋服をお願いしたことはなく、今回初めてビスポークのオーダーをさせて頂きました。フォックスブラザーズのフランネルで、ネイビーのチョーク・ストライプ、ダブル・ブレステッド。さて、どんなスーツが出来上がるか、今から楽しみで仕方ありません。完成したら、またリポートさせて頂きます!

 

batak NAKADERA

東京都新宿区新宿1-3-4 Gyoen R 6F

TEL 03-5919-6682

http://batak.jp/

 

福田洋平さん

福田洋平さん

 シューメーカー

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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靴職人の福田洋平さんのご登場です。今や、日本を代表する靴職人の一人と言えるでしょう。北青山にあるショップには、世界中から人が訪れます。顧客の半数以上が外国人だそうです。

「フランスとアメリカ、そしてイギリスからの方が多いですね。あとはシンガポールと香港。ブログやSNSなどで知って、来られるようです」

なるほど、こういう話を聞いていると、雑誌屋としては「時代は変わったなぁ」と思います。

「先日、ロンドンでスーパートランクショーという催しがあって、各国の職人たちが集まったのですが、外国人が皆、口を揃えて『日本のモノは世界一だ』と言ってくれました。これは嬉しかったですね」

そうです。今や日本は職人大国です。大勢のリッチな外国人たちが、日本へスーツや靴を作りにやって来ます。日本人は手先が器用でマジメなので、英国やイタリアで学んだ技術に磨きをかけ、本家よりさらにいいモノを作ってしまうのですね。

福田さんも、

「どうがんばっても1カ月に7足が限度なのですが、注文はそれ以上に入ります。納期がどんどん伸びてしまって、申し訳ない」

 と嬉しい悲鳴を上げています。

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スーツは、近藤卓也さん率いるヴィックテーラーで、8年ほど前に作ったもの。

「ヴィックテーラーでは、もう5着ほど作りました。トレンドを追わず、いい意味で普通な服作りをされているところが好きなのです。今日はスーツですが、普段はジャケットスタイルが多いですね。ボウズにヒゲでスーツだと、初めて会う人に怖がられてしまうので(笑)」

あ、私もスーツを着ていると、いつもその筋の人に間違えられます。

 

シャツは、水落卓宏さんのディトーズでオーダーしたもの。

「シャツって一番ビスポークのメリットが、わかりやすいものだと思います。既製品のシャツは、どこかが合っていると、どこかが合わないでしょう?」

 

タイはドレイクス。

「実はドレイクス当主のマイケル・ヒルさんにも靴を作らせてもらい、東京に来ると必ず寄ってくれるのです。その際ドレイクスのタイを、2本ずつお土産に持って来てくれるんです」

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シューズはもちろん、ヨウヘイ・フクダ。ヘリテージ・コレクションの“セレスト”というモデルです。さすがに美しいですね。

「私の靴の特徴は、英国の第一次大戦前の靴をモチーフにしているところでしょう。今では英国靴というとエドワード・グリーンの202のような、ぽってりとしたラストを思い浮かべる方が多いと思いますが、それは第一次大戦が始まって、靴の大量生産が必要になってからです。それ以前のエドワーディアン時代(エドワード7世在位時代=1901~1910年)は、スマートなスクエアトゥが主流でした。私はこの時代が、靴作りにおける、ひとつの頂点だと思っています。数えきれないほどの職人たちが工房を構え、互いに腕を競っていたのです」

 

福田さんが靴職人になるきっかけも、この時代に作られた一足の靴だったそうです。

「英国ノーザンプトンの靴博物館で見た、一足の黒いストレートチップに目が釘付けになりました。『人って、こんなに綺麗なものを作れるんだ』と感動したのです。その瞬間に靴職人になることを決心しました。その靴は今でも、たまに見に行くんですよ。作り手は“アンノウン(わからない)”となっていますが」

 

そして作った渾身のサンプルは、英国で当時通っていた靴学校の先生を驚嘆させ、「お前はこの道を行くべきだ」と言わしめたほど。その実力が認められ、本場の一流処クレバリーやグリーンのビスポークのアウトワーカーなどを務めました。6年後に帰国して、中野に工房を構えます。しかしそのスタートは、決して順風満帆ではなかったようです。

「最初の工房は中野・鷺宮の自宅アパートの一室で、4畳半しかありませんでした。そこで接客をし、靴を作っていました。でも、ぜんぜん注文がないので、一日中寝ていることもありました(笑)」

 

しかし、いいモノを作っていれば、必ず評価してくれる人はいるもの。ビジューワタナベという時計店の店頭にサンプルが置かれたことがきっかけで、評判が評判を呼び、前述のような大盛況へと至ったわけです。

 

さて、ここでオマケ話をすると、福田さんは決して、若い頃から本格靴職人を目指していたワケではなかったそうです。そこにはいろいろな運命のイタズラがあったようで・・・この話は面白いので、もし行かれる機会があったら、採寸の際に突っ込んでみて下さいね!

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Yohei Fukuda

Mater Styling ¥280,000〜

Bespoke ¥430,000〜

東京都北青山2-12-27 BAL青山2F

Tel.03-6804-6979

https://www.facebook.com/yoheifukudashoemaker/

https://www.instagram.com/yoheifukudashoemaker/

檀正也さん

檀正也さん

 サルト代表取締役 檀正也さん

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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日本に“高級お直し店”という存在を広めた、サルトの社長、檀正也さんです。

高身長にスリムな体型。オーダーメイドのスーツがよくお似合いです。

「高校生の頃は、もっと細かった。身長180cmに対して、体重は50kgちょっとしかなかったのです。だから、どんな服を買っても、ダブダブになってしまう。そこで買った洋服は、すべて直してから着ていました。どこをどう直すか、いつも自分で工夫していました。その頃から“お直し”が大好きだったのです」

大学卒業後、アパレルメーカーへ就職し、企画を担当するも、どうしても興味は、“作る”ことよりも“直す”ことへ向いていってしまったそうです。

「せっかく大枚叩いて買った洋服なのに、1シーズンで着られなくなってしまうのは、おかしいと思っていました。ヨーロッパなどでは、当時からお直しの文化がありましたからね。また私は実は、サルトの前に一つ会社を立ち上げているのですが、そこでは環境にやさしい洗剤や香り、防虫剤などを扱っていました。若い頃から、そういったことに関心があったのです」

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スーツは、韓国のB&テーラーによるもの。サルトのショップでも扱っています。

「スーツ職人だった父親と、イタリアで修行した息子2人がやっているテーラーです。サルトの支店をソウルに開く際に、たまたま見つけて惚れこみました。とにかく柔らかくて着心地がいい。また、すごい数のパターンを持っていて、デザインがとてもいいんです。決まり切った形しかやらない普通のテーラーとは、全然違います」

 

シャツは、サルトのオリジナル・オーダーメイド。カラーピンは後付けです。

 

タイは、加賀健二さんが手がけるフィレンツェのセブンフォールド。最近いろいろなところで見かけます。

「加賀さんとは、10数年のお付き合いになりますね。今回もいいコレクションでした」

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時計はアンティークのブローバ。かつては非常にメジャーだった、アメリカの時計メーカーです。

「なんでも古いものが好きなのです。クルマもそうで、現在の愛車は、フィアット1200カブリオレという1965年式のイタリア車です。これがもう、壊れる壊れる。この間は走行中に、ドアノブが落ちました(笑)。現在も修理中です」

もう、なんでも直すのがお好きなのですね。

 

 シューズは、やはりフィレンツェの深谷秀隆さんのイル・ミーチョ。このブランドも、もはや世界中の洒落者の定番ですね。

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「サルトを立ち上げたのは、2000年のことでした。当時はセレクトショップがこぞってイタリア製の服を扱っていました。しかし今と違って、その作りはひどかった。イタリア人が作る服はいい加減で、袖がねじ曲がっていたり、マニカ・カミーチャの雨の分量が左右で違っていたり、そんなことはしょっちゅうでした。そこで、ビジネスを立ち上げるなら、そこを狙うしかないと思ったのです」

サルトが登場するまでは、お直しは “町のお直し屋”に持ち込むしかありませんでした。しかし、そういった店はお洒落とは無縁だったので、納得いく仕上がりからは、ほど遠かったのです。そこへ檀さん率いるサルトが現れて、「いい服を、少しずつお直ししながら長く着る」ということが、ようやく一般的になったのです。

現在では発祥の地、福岡をはじめ、東京、名古屋、札幌、そして韓国ソウルなど、各地にショップを展開されています。

 

さぞや、もうかっているでしょう、と聞くと、

「全然もうかりません」とのお答え。

「この仕事は、高いものを扱っているので、決して手は抜けない。そして、凝れば凝るほど、もうからないのです。洋服なら安いラインも作れますが、お直しでは、そうはいかないでしょう?」

なるほど、確かに。

しかし、そういう檀さんの顔は実に嬉しそうです。この方、根っから「直す」ことが好きなのですねぇ。クレイジー・ダイヤモンドみたいです。

 

<サルト銀座店>

東京都中央区銀座2-6-16 第二吉田ビル2F・3F

Tel.03-3567-0016

11:00-19:30(日・祝11:00-19:00)最終受付は18:30(日・祝 18:00)

http://www.sarto.jp/

 

板倉赫さん

板倉赫さん

KAKUコーポレーション代表、ファッション・プロデューサー

text kentaro matsuo

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日本ではあまり知られていないけれど、欧州では広く知られている日本人がいます。例えばGPライダーの原田哲也さんなどはその代表格で、イタリアで「最も有名な日本人は?」と聞くと、皆「ハラダ、ハラダ!」と叫ぶそうです。

ではファッション界では誰かといえば、もしかしたら今回ご登場の、板倉赫(かく)さんかも知れません。

 

ミラノ在住の板倉さんは、1983年のマーレ・モーダ・サンレモでの受賞を皮切りに、四半世紀以上にも及ぶイタリアでのデザイン活動の中で、さまざまな受賞歴を誇ります。特に権威ある“アルテ・エ・イマジネ・ネル・モンド2005(世界の芸術とイメージ賞)”の受賞は、日本人初の快挙でした。

 最近では、バーニーズ ニューヨークのコンサルタントや、雑誌MADUROで連載をなさっているので、日本での知名度も急上昇といったところでしょうか。

板倉さん1

さてそんな板倉さんは、デザイナーなのかというと、これがちょっと違っていて、本人曰く「サルトであり、モデリストであり、MDであり、スティリスタであり、ファッション・プロデューサーなのです」とのこと。とにかくファッションに関連する事を手がけてきています。装いにも、そんな多様性が表れています。

 

ジャケットは、板倉さんのマエストロでもあるブルーノ・ディ・アンジェリス。1981年頃に仕立てた思い出のある一着です。なんと30年以上も前の1着ですが、まったく古さを感じさせません。

「ブルーノは私のマエストロだったのです。彼はフランコ・プリンツィバァリーの兄弟子で、その先生はマリオ・ドンニーニ。さらにその先生がドメニコ・カラチェニです」ということで、そのスジに詳しい人なら、思わずひれ伏してしまうような系譜に連なっています。

 

シャツはミラノのザ・ストアで入手したジャンネット。

「シャツだけは新しいものを買います。すぐに黄ばんでしまうからね」

チーフはロダ。

 

 メガネはミラノのマルケーゼという工房兼小売店で買ったもの。

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パンツはやはりミラノのクランという店で買ったモノですが、なんと日本製だったそうです。

「イタリア人の店員が『ズボン、ズボン』というから何だろうと思ったら、実は日本で作られたものでした(笑)。でも履きやすい。ブランド名は“丈”と書いてありますね」

 

ベルトはオルチアーニ。

 

時計はフランク・ミュラーのトノウ カーベックス。1995年に入手されました。

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 カードケースはイタリアのフォンタナ社製で、自らデザインし、自らの名を冠した”KAKU”コレクションのもの。

 

シューズはジェイエム ウエストンで、購入したのは、やはり30年以上前の1983年だったそうです。

「いいものは古くなっても、ずっと履けるし着られます」

 

さまざまな国で、さまざまな年代に作られたものを組み合わせているのに、完璧にまとまっているのは流石です。

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「買い物はミラノですることが多いですね。モノマルカ(=ひとつのブランドしか置いていない店)にはほとんど行きません。行きつけの店はセレクトショップで、店員たちと相談しながら洋服を選びます。彼らは私の好みとワードローブを把握していて、次々とおすすめを持ってきてくれます。そして『コレにはコレ、アレにはアレ』とコーディネイトの提案も忘れない。ジョークを交えつつ、服選びをしていると、すぐに3〜4時間は経ってしまいます。お直しも細かくする。例えばパンツの裾を上げるのも、裾幅が変わらないよう、膝下全体で詰める。しかも来店しているのは、ある程度の経験を積んだ大人ばかりで、若者はいないのです。こういう文化は日本にはないですね」

 

板倉さんの父上はテーラーで、小さい頃から「布キレにまみれて育った」そうです。アパレルメーカーにデザイナーとして務めた後、1973年に初めて訪れたイタリアで、人生の転機を迎えました。

「ミラノ、そしてフィレンツェへ行きました。フィレンツェでは、ちょうど第1回目のピッティをやっていましたね。そしてそこで見た本場の男の装いに、衝撃を受けたのです。日本とはまさに“月とスッポン”ほど違いました。遊園地へ行った子供が夢中になるのと同じように、イタリアという国に夢中になりました。私はイタリアに一目惚れしてしまったのです」

 

以来40数年、いまでもその情熱は続いているようです。

「私はいわゆる団塊の世代なのですが、同輩が定年を迎えて輝きを失っていくなか、私は年齢を重ねるごとに元気になっています。とにかく毎日がチャレンジです」

ファッションは“ライフ”と言い切る板倉さん。こんなにカッコいい先輩に出会えるからこそ、私も編集者稼業はやめられませんね。