From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

Posts in the Japan category

MENU

水落卓宏さん

水落卓宏さん

 ディトーズ テイラー&カッター

text kentaro matsuo  photography natsuko okada

_S5A6042

南青山の隠れ家的テーラー、ディトーズのオーナー、水落卓宏さんのご登場です。壹番館洋服店、ブリオーニなど、一流処を渡り歩いて来たことで知られています。水落さんと私が初めて出会ったのは、彼が滝沢滋さんのサローネ・オンダータにいた頃でした。その後独立されて、自らのテーラーを開いたということは耳にしていたのですが、「そのうち行ってみたいな」と思っているうちに、はや8年が経ってしまいました。

 年を取るほどに、時の経つのは早くなります。学生時代は、1年が永遠にも感じられるほどの長さでしたが、30歳を超えるころから、だんだんと時が流れるのが早くなり、50歳を超えた今では、1年2年はあっという間に過ぎ去ってしまいます。お互いに「早いものですね・・」と感慨しきり。そんな会話から、今回の取材はスタートしました。

_S5A6049

ターンバック・カフのジャケットは、ディトーズで自ら仕立てたもの。生地はカシミア100%で、英国ジョンストンズに鉄砲で有名なジェームス・パーディが別注したものだそうです。

「素材の風合いを生かすために、極力芯地を抜いて、柔らかく仕上げてあります。もうフニャフニャです(笑)。私自身の着ているものは、実験的な要素が強いのです。新しい技術や材料はまず私自身の服で試します。いきなりお客様に使うのは、怖いですからね」

 

タッタ―ソールのウエストコートもディトーズ。

「これは“ポストボーイ”といわれるスタイルです。ウエストラインにシームがあって、通常のベストより長めの丈となっています。ボタンも5つ全部を留めます」

なるほど、一見普通ですが、よく見ると実に凝った仕立てとなっています。

 

シャツとタイもオリジナル。

「シャツはカチョッポリのオックスフォード製。タイは英国アダムレイの生地を使って、日本の職人に縫製してもらったものです。大剣幅は9.5cm、長さは140cmとしてあります。通常より短いと思われるかも知れませんが、背が高いわけでもなく、首が細い日本人にはこのくらいがちょうどよいのです」

_S5A6075

チーフは、エリッコ・フォルミコラ。千葉のアウトレットパークで買いました。

「意外ですか? 実は妻がアウトレット好きで、よく行っているのです。そんなときは軍モノや古着、アウトドア・クロージングなどを着ています。たぶん私だとはわからないでしょう(笑)。クライミングパンツなどはカットやパターンが面白くて、勉強になりますよ」

 

ゴールド製の懐中時計はアスプレイのアンティーク。

「かつて表参道にあったハナエモリ・ビルの地下に、アンティーク・ショップ街がありました。そのうちの一軒に飾られていて、10年間欲しいと思い続けた時計です。しかし、当時は修業時代でまったくお金がなかった。いざ買おうと思ったら、ビルは取り壊しになって、それぞれの店はバラバラに移転してしまっていた。そこで探しに探して銀座に移ったことを知り、ようやく手に入れた品なのです」

その一途さが素晴らしいですね。10年間他の人に売れなかったというのも、奇跡です。

_S5A6056

コーデュロイ・パンツはブリスベン・モスの生地を使ったオリジナル。

「英国でコットンといったらここで、例えばバブァーの襟地なども作っています」

 

靴はスマートなシルエットで知られるビスポーク・シューメーカー、ヨウヘイ・フクダ。ぽってりとした靴なので意外でしたが、

「技術を持っている人なので、言えば何でもできるんですよ。彼とはよくお客さんを紹介し合っています」と。

 

「今日のコーディネイトのテーマは、色づいて来た外苑のイチョウ並木」という通り、全身イエローベースで統一しているので、さまざまなパターンを組み合わせていても、統一感がありますね。

_S5A6063

「8年前、独立して自分のテーラーを開くと宣言した時は、周りの皆に反対されました。養わなければいけない家族がいたので、『一人もお客さんが来なかったらどうしよう』と、本当に怖かったですね。でも当時、メンズ・イーエックスの別冊“本格スーツ読本”で紹介されてからは来てくれる人が増えて、それ以来、ずっと順調にきています」

その本は、私が作った一冊でした。こういうことを言われると、編集者冥利に尽きますね。今度はあまり間を置かず、また近々にお会いしたいと思います。

 _S5A6088

ヘラクレス・ノットを象ったオリジナルのタイスラーダー。シルバー製。3万円

_S5A6091

ディトーズ

東京都港区南青山4-14-2 グランポート南青山 2F

03-6438-9313

http://www.dittos.jp/

鈴木貴博さん

鈴木貴博さん

 ドーメル・ジャポン 営業本部長

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

_RL_8250

 創業1842年、現存する最古の服地ミルマーチャント、ドーメルの日本支社にて、営業本部長を務める鈴木貴博さんのご登場です。就職されてからは、服地業界一筋で、カキウチ、エルメネジルド ゼニア、そしてドーメルとキャリアを積まれて来ました。ゼニア時代には、なんと私の家内も同じ会社で働いていました。

「社内の飲み会で、奥様とご一緒したこともありますよ」と仰っていましたが、いやはやご迷惑をおかけしていないといいのですが・・

そして、鈴木さんの奥様も私のことをご存知です。以前アンジュノワールというセレクトショップのPRをご担当なさっていた頃、何度かお会いしたことがあります。しかし鈴木さんの奥様だとは、まったく存じ上げませんでした。世間は狭い、そしてファッション業界はもっと狭いですねぇ。お互い気をつけましょう(笑)

 _RL_8295

スリーピースのスーツはもちろんドーメルのオーダーメイド。ドーメルは服地を販売する他に、オリジナルも充実しています。この形は“パリ”というモデルで、ちょっとフレンチ風のディテールを持っています(フィッシュマウスラペルなど)。実は私も、パリのダブルスーツを愛用しています。

「生地は“スポーテックス・ヴィンテージ”です。スポーテックスは、ドーメルで一番有名な生地で、開発されたのは1922年。その名の通り、当時はハンティング、レーシング、そしてゴルフなどのスポーツを楽しむためのものでした。太い糸を使ってしっかりと織られています。同時のウエイトは700gもあったそうですよ。今では、さすがにそんなにヘビーなものはありませんが、いいところはそのまま。つまり耐久性に優れ、スーツのシェイプがキレイに出るのです。テーラー好みの生地と言えますね。わざわざ昔のものを探し求めるマニアの方もいるのです」

ドーメルのスポーテックス、そしてモヘア素材の“トニック”は、服道楽なら必ずその名を知っている名作生地です。

ネクタイもドーメル・オリジナル。15.7(フィフティーン ポイント セブン)というスーツ生地で作られています。

「15.7ミクロンの極細ウールで織られているので、この名前がついています。実はコレ、7フォールドなんですよ。しかもフランス製。先の方まで芯地が入っていたりと、同じ7つ折りでもイタリア製とはちょっと違うところが面白いでしょう?」

ドーメルは英国製の生地を扱いますが、実は本社はパリにあります。だから、ガチガチのブリティッシュじゃなくて、ちょっとフランス風の遊び心があるのですね。そこがこのブランドの最大の魅力だと思います。

 

ハンドメイドのシャツもドーメル。職人がナイフでひとつひとつ生地をカットして作っているそうです。

_RL_8297

 カフスはかつて奥様がPRをなさっていたアンジュノワールにて購入したもの。アンジュノワールは、日本を代表する写真家・田原桂一さんがディレクションをなさっていた骨董通りのセレクトショップです。独自の審美眼をお持ちだった田原さんですが、惜しくも本年6月帰らぬ人となりました。

 

時計は、なし。

「時間に縛られない男だから・・」とうそぶいておられましたが、実は現在いいものがないか物色中だそうです。時計ブランドの皆様、セールスのチャンスです(笑)

_RL_8299

シューズはクロケット&ジョーンズ。ロンドンにて購いました。年に何度もヨーロッパと日本を往復する鈴木さんは、真の国際派です。

 

「高校、そして大学は、アメリカで過ごしました。最初はユタ州。州都のソルトレイクシティからクルマで2〜30分走ったマレーという田舎町に住んでいました。とにかく何もないところで、日本のことなんて誰も知らない。『日本にはアイスクリームってあるの?』と聞かれた時は閉口しました(笑)。それからシアトルに移って、シアトル・ユニヴァーシティで国際経済を専攻しました。でもあまり勉強はしなかったな。テニス、ゴルフ、スノーボードなど、スポーツ三昧の日々でしたね」

な〜んて軽く仰っていましたが、シアトル大ってアメリカ人にとっても難関ですよ。鈴木さんの語学力は推して知るべしです。

 

「卒業後は台湾へ行って、今度は中国語の勉強をしました。『英語だけではダメだ。次は中国語だ』と思ったのです」

 

う〜ん、うらやましい。今の世の中、語学は非常に重要ですからねぇ。実は私もロンドンへ留学(遊学)していたことがありますが、渡英後数ヶ月で学校を辞め、日本人の女の子と同棲してしまい、毎晩クラブで夜遊びばかりしていました。もしタイムマシンがあるなら、あの頃の私を張り飛ばしてやりたいです。

鈴木さんと話していると「若い頃の努力が、後年実を結ぶ」という当たり前の事実を、痛感させられます。

_RL_8307

ドーメルのスーツ生地15.7で作った7フォールドタイ。¥28,080

ドーメル青山店

〒107-0062 東京都港区南青山1-1-1 新青山ビル1F
TEL 03-3470-0251

http://www.dormeuil.com/jp

山本祐平さん

山本祐平さん

株式会社ケイド代表取締役

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

_RL_8146

東京を代表するテーラーのひとつ、ケイドの山本祐平さんのご登場です。ファッション&マスコミ業界に幅広い交遊関係を持つ山本さんを、ご存知の方も多いでしょう。

私が「今の日本で一番お洒落かもしれない」と思っているお洒落の天才、フェアファクス コレクティブ社長、慶伊道彦さんの御用達テーラーとしても有名です。

「慶伊さんと初めてお会いしたのは、もう17年も前のことになります。それから100着以上は作って頂きました。いまでもよくお会いしていますし、最も話が合う方の一人です」

お互いに、アメリカ文化が好きで、アイビーやジャズの話をしていると、止まらなくなってしまうそうです。

 

山本さんの服作りのルーツは、幼い頃に観たアメリカ映画にあります。

「小学校6年生の頃、映画『スティング』を観て衝撃を受けました。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードを目の当たりにして、『世の中にこんなにカッコいい男たちがいるんだ』と仰天しました。それからは、もう映画三昧。映画館に通って3本立て500円の映画を貪るように観ました。私のスタイルのルーツは、間違いなくその頃に観た映画にありますね」

_RL_8166

スーツはもちろんケイド。テーラー&ロッジに別注したオリジナルのヘビーウエイトのシャークスキン生地で仕立てられています。カラーはミッドナイト・ブルー。

「ソリッド(無地)のダークスーツに白シャツ、そしてソリッドタイといったスタイルが多いですね。引き算の美学を追求しています。そういったコーディネイトの方が、着ている男のパーソナリティを引き出すのです」

 

シルク・バスケットのタイは、ケイドのオリジナル。

シャツもオリジナルですが、これは映画監督の小津安二郎氏へのオマージュだとか。

「小津監督はいつも同じような格好をしていたのです。万年筆を入れるための大きなポケットがついたストレートカラー(長めの襟)の白シャツに、コットンピケの帽子を被り、グレイのパンツを穿いていた。しかし、実はもの凄くお洒落な人で、帽子はダース単位、シャツも5枚ずつ作っていたそうです。そういった昔の男の美学が好きで、ウチでも同じモノを作りました」

_RL_8204

チーフはラルフ ローレン。

時計はカルティエのタンク。

「タンクは、ドレスからカジュアルまで、何にでも合う時計です。わざわざ趣のある1970年代のものを探して購いました。ちなみにスポーツをするときは、ロレックスのGMTマスタ—をしています。これは故・石原裕次郎さんやスティーブ・マックィーンがしていたのがカッコよくて」

_RL_8180

シューズはオールデンのタッセルローファー。

「足元でちょっと“抜く”のが私のスタイルです。素材はあえてのカーフで。サヴィルロウより、ニューヨークのマディソンアヴェニューの感じ。舞踏会より街で映える男。バシっとキメていても、どこかフランクな格好が好きなのです」

 なるほど、その感じ、わかります。それはかつて山本さんが在籍していた名店、ボストンテーラーの雰囲気に相通じるものかもしれません。

_RL_8189

「ボストンテーラーでは、仕立屋の原点となる経験を積みました。いまと違って当時のテーラーには、さまざまな職種のお客様がいました。クセの強い人がたくさんいて、それぞれの突飛なデザインや特殊なリクエストにも応えなければならなかった。そして当時は年初から新しいスーツを着るという習慣もあって、その年にオーダーを受けた服は、必ず年内に納めなければならなかったのです。振り返ると大変でしたが、とても勉強にもなりました」

 

そういう山本さんのところには、不思議と若い人が集まって来ます。

「お店の常連さんや、私が社員として雇っている職人の中にも20代の人がたくさんいます。今の世代は服作りはウマいけれど、そのバックグラウンドにあるカルチャーを知らない。そういったことを次世代に伝えていきたいですね」

確かに、山本さんの話す、昔のダンディたちのエピソードは、聞いていてとても面白いものです。皆その話術に魅せられてしまうのでしょう。

 

往年の本や雑誌、レコードに囲まれた、男のおもちゃ箱のようなケイドの店内で、山本さんの笑顔はひときわ魅力的でした。

 

テーラーケイド

 〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町42−15

Tel:03-6685-1101

http://www.tailorcaid.com/

長谷川雅一さん

長谷川雅一さん

ガジアーノ&ガーリング ディレクター,アジア

text kentaro matsuo  photography shinsuke matsukawa

RAKE_001

私がずっと気になっていたファッショニスタ、長谷川雅一さんのご登場です。初めてお会いしたのは、もう10年ほど前、英国のシューズ・ブランド、ガジアーノ&ガーリングのトニー・ガジアーノ氏とディーン・ガーリング氏に、私がインタビューしたときのことだったと思います。素晴らしい着こなしと、超堪能な英語が印象的でした。

 

「中学高校とインターナショナル・スクールへ通っていました。上智大学卒業後、仕事の関係でニューヨークに渡り、そのまま25年ほど住んでしまいました。トニーとディーンは、以前からの知り合いで、2006年のブランド設立時には、ファイナンス面を担当し、ちょうど今でいうクラウド・ファンディングのようなことをやったのです」

 

長谷川さんのご専門は、いわゆる「投資」というヤツで、私には想像もつかないような巨額のお金を動かされているようでした。

RAKE_003

スーツはペコラ銀座。

「ペコラ銀座には、もう20年以上前から通っています。ずいぶんたくさんの服を作りました。きっかけは、松尾さんが初めて書いた佐藤さんの記事だったんですよ。それまでは既製品やパターンオーダーなど、いろいろ試していましたが、うまく行きませんでした。そんな時にペコラ銀座の記事を見て、『コレだ!』と思い、すぐに作りに行きました」

 

それは、ありがとうございます。自分の記事を読んでくれて、それに影響された方がいると、嬉しさもひとしおです。今でこそ、欧州帰りのテーラーはゴマンといますが、20年前はペコラ銀座の店主、佐藤英明さんしかいなかったんですよね。裃(かみしも)のようなスーツばかりだった当時の日本のテーラー界において、彼の作るイタリア風の丸く柔らかく人間的な服は、衝撃的だったのを覚えています。

 

タイはルビナッチのス・ミズーラ。ナポリにてご購入。

シャツは香港のオーダーメイド、デヴィッズ・シャツ。カルロ・リーバの生地を持ち込みました。

 

トレードマークの丸メガネは、大井町の林眼鏡店。

「店主がジョン・レノンが大好きで、丸いメガネばかり扱っているのです。これは福井県・鯖江製のオリジナル」

 

チーフはニューヨークのバーグドルフ グッドマンにて、ダース買いしたもの。

RAKE_005

 時計はオーデマ ピゲのロイヤル オーク。イエローゴールドのモデルです。

「もう25年以上前に買ったものですが、ずっと着用していませんでした。『ある程度オジサンになったらしよう』と心に決めていたのです。そして、私も40代半ばを過ぎたので、そろそろいいかなと思い、着け始めました」

 

シューズはガジアーノ&ガーリング。ビスポークのベルジャン・ローファーです。色はブラックで、パイピング部分にはパイソンが使ってあります。

「あまりオックスフォードタイプは履きません。カカトの骨を痛めたことがあり、それ以来、足裏にフィットした中敷きを入れたローファーを愛用しています」

 

アクセントとなっているレッドのソックスは、ジョンスメドレー。

「ソックスはレッドしか履きません。そしてネクタイは紺無地しか締めません。靴はブラックのベルジャン・ローファーばかりで、スーツもダブル一本槍。いつも同じ格好をしているように見られますね(笑)」

 

 私の経験だと、いつも同じような格好をしている人ほど、お洒落です。そしてレッドのソックスを愛用している人は、神級のファッショニスタです。日本のブランド・ビジネスの草分けであり、コロネット商会の創業者、桃田有造氏は、いつもレッドのソックスを愛用なさっていました。

RAKE_007

長谷川さんは昨年末に、長年住んだニューヨークを離れ、現在は東京をベースにしています。

「最近のニューヨークはどうも雰囲気が悪いのです。反人種差別デモや反トランプデモが頻繁に起こるようになってしまいました。私には二人の高校生になる息子がいるのですが、街を歩かせるのが不安になって、日本へ帰って来ました」

 

同じ息子を持つ身として、その気持ちはわかります。

ちなみに私の息子はいま7歳ですが、もうすぐ来るであろう反抗期について不安に思っていることを吐露すると、長谷川さんは「ウチにも反抗期はありましたが、すぐに終わりました。今はまたいい子に戻っています。そんなに心配することないですよ」と言ってくれました。

 

現在のメインのお仕事は、イギリスにおけるフィンテック関連だとかで、私には、そのへんはさっぱりわかりませんが、同じ息子を持つ親として、そして同じテーラーを愛用する洋服ファンとして、もっとお話をしていたいと思わせる方でした。

黒川修さん

黒川修さん

 メゾン・ディセット代表取締役

text kentaro matsuo  photography natsuko okada

_UG20160

ポーツ1961、エミリア・ウィクステッド、トマジーニ、クラウディア・リー、ヴィオネなど、10近いブランドを日本に輸入しているメゾン・ディセットの代表、“クロちゃん”こと、黒川修さんのご登場です。私は黒川さんが、八木通商という輸入商社にお勤めの時に知り合いました。イタリアの駐在員をなされている時は、よくミラノの街を案内してもらったものです。

 

その後、バルマン、アレキサンダー・マックィーンなど、さまざまなブランドの日本責任者を経て、現在はご自身の会社を経営しています。華麗なる経歴をお持ちなのは、やはり語学が得意だからでしょう。

 

「建築家をしていた父の仕事の都合で、小学校に入る直前まで、アメリカに住んでいました。現地の幼稚園へ通っていて、周りにはドイツ人、イスラエル人、エジプト人など、いろいろな国の友達がいました。基本英語でしたが、消防車だけは、私がかたくなに日本語で言っていたので、終いには、幼稚園中の生徒が“ショーボーシャ”という単語を使うようになってしまった(笑)」

 

なるほど、子供が言葉を覚えるプロセスって、面白いですね。英語に関しては、その後仕事で使うようになって、もう一度苦労して学び直したそうです。

_UG20242

ジャケットはボッテガ・ヴェネタ。

「デザイナーのトーマス・マイヤーが好きなのです。ベーシックのなかに、突然抽象的なツイストがあって面白い」

黒川さんは、トラッドとモードの中間がお好きです。

 

シャツは、ご自分で扱っているポーツ1961。

「このブランドはもともと1961年に、ルーク・タナベという日系カナダ人が始めたものです。彼は『男には、10種類のシャツが必要だ』という哲学を持っており、ナンバー1から10までの番号が振られたシャツをコレクションの中心に据えていました。ごくプレーンなものからスモーキング用まで揃っており、これはそのうちの一枚です。現在でも毎シーズン素材を変えつつ、定番商品として展開しているのです」

なんとも、面白いブランドですねぇ。

_UG20228

パンツはランバン。

「ランバンのルカ・オッセンドライバーも、好きなデザイナーの一人です。ここのパンツは、とにかく私の体型に合うのです」

 

時計はベダ&カンパニーのナンバー8。10年ほど前に購入したもので、ポイントはクロコダイル製のイントレチャートのベルトです。

「このベルトが気に入って買ったのですが、その後廃番になってしまって。メーカーに聞いたら、もう作っておらず、在庫もないというのです」

おやおや、これはぜひ復活させてもらわないと・・。

 

シューズはオールデン。

「オールデンは6足くらい持っています。トラッドからモードまで、こんなに何にでも似合う靴は、他にありません。あとはジャンヴィト ロッシやマノロ ブラニクも好きですね」

黒川さんは、かつてマックスヴェッレの代理店もしていたことがあるので、靴には一家言おありです。

 

今日はブラックとネイビーの組み合わせ。

「ネイビーが死ぬほど好きなのです。いつもこんな格好ばかりしています」

_UG20217

 

 

さて今ではファッションの世界で活躍されている黒川さんですが、大学入学時は、ファッションか音楽かで、ずいぶんと迷ったことがあったとか。

「子供の頃から、ずっとピアノをやっていたのです。高校の三年間は、先生について、ジャズ・ピアノを勉強していました。ボストンの学校へ入って、プロを目指そうかどうか、真剣に悩みました」

 

そう言いつつ、BGMとしてかけてくれたのは、チック・コリアの“オン・グリーン・ドルフィン・ストリート”。

 

「これは一番好きな曲のひとつです。今は家にピアノがないので、専ら西麻布のカラオケ・バーに行ったときに、弾くくらいになってしまいましたが・・」

 

黒川さんが、そんなにピアノが上手だとは、初めて知りました。ここぞというとき、モテるでしょうねぇ。一度彼の演奏を聞いてみたいです。

 

「私がジャズ・ピアノを好きになったのは、母方の祖父の影響です。とても粋な人で、家に行くといつもジャズやラテンの曲がかかっていたのです。スーツはいつも銀座・壱番館で仕立てていましたね。80歳を過ぎても、プラダを着ているような人でした」

 

撮影した南青山の事務所は、先日オープンしたばかり。これからも独自の視点で選んだいいものを届けていきたいと、決意を新たにされています。

「オンスケジュールでショーを行うブランドにフォーカスしています。ファッションへの憧れをストレートに伝えたいという思いがあるので、ランウェイ・ブランドが好きなのだと思います」

 

おじいさま譲りのアーティスティックなセンスと、とびきりの笑顔が、この方の魅力といえましょう。

大和一彦さん

大和一彦さん

B.R.SHOP/B.R.ONLINE オーナー、エグゼクティブプロデューサー

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

_RL_3914

なんだか今回はちょっと勝手が違います。なぜならこの大和一彦さんこそ、私がこのブログを始めるきっかけだった人だからです。当ブログは、かつては大和さんの経営するB.R.ONLINEのなかの一コンテンツでした。B.R.ONLINEは、膨大なトラフィックを誇るファッション・サイトで、そのお陰で、私のブログも、それなりに有名になったのです。いわば、もともとの雇い主を取材しているようなもので、ガラにもなく、ちょっと緊張しました。

 

B.R.SHOPは、神宮前に実店舗を構える、れっきとしたセレクトショップですが、フツウのセレクトとは、ひと味違います。ウェブサイトでの売上げが、非常に多いのです。

「メディア事業も行っていますので広告売り上げを含めると、ウェブでの売上げと店舗での売上げの比率は、7:3といったところでしょうか。ウチがウェブで洋服を売り出したのは、1997年のことです。当時は『ホームページって何?』という人もいたくらい。もしかすると、日本で最も早くネットで洋服を売り出したのは、われわれかもしれません」

 

その後のアプローチも、実にユニークです。

「メンズのトレンドというのは、ほとんど気にしていません。それよりも、レディスを見る。レディスのトレンドのなかで、メンズに受け入れられるものは何か? と考えます。例えば今季は、ゆったりしたロングコートがよく売れていますが、これもレディスの流れを見て、大量発注したのです。逆に巷で流行っているワイドパンツは、一部取り入れるだけに留めました。これもレディスの世界では、ワイドとスキニーが両立しており、きっとメンズでもそうなると思ったからです」

 

 あらゆる意味で“先見の明”がある方だと申せましょう。

_RL_3928

スーツは、デ・ペトリロ。素材はストレッチの効いた細畝コーデュロイです。

「B.R.SHOPでは、スーツを普段使いするという提案をずっと続けて来ましたが、ようやく最近受け入れられつつありますね。こんなカジュアルなスーツが売れています」

 

ニットはクルチアーニ。

「これも何千枚も売れた定番商品ですが、今季はちょっとだけ丈を長めにしました」

この案配が絶妙です。

 

スカーフは、キンロック。

「私のような細身の人間は、インナーがニットだけだとちょっと寂しい。だからクルーネックには、なるべくスカーフを合わせるようにしています。エルメスのヴィンテージなども、たくさん持っています」

トレードマークでもあるメガネは、フォーナインズ

「フォーナインズには、オーダーレンズというものがあるのです。それぞれの人の顔に合わせてレンズを作ってくれるシステムで、どこを見ても見やすい。他のものをかけると疲れてしまいます。昔はたくさんのメガネを持っていましたが、いまはフォーナインズばかりです」

_RL_3951

ブレスレットはエルメス。

「アクセサリーやスカーフ、それからスニーカーやTシャツなども、妻とシェアすることが多いですね。サイズが似ているので、着回せるのです。それに何より、買う時に言い訳ができるじゃないですか(笑)」

この点ばかりは、羨ましい限りです。私が妻とシェアできるのは、家のローンくらいです・・

 

時計はロレックスのエクスプローラーⅠ。この時計には、非常に思い入れがあるとか。

「20歳になった時に、父に買ってもらったものです。一級建築士、そして不動産で成功した父は、常に私の目標なのです。父はすでに他界してしまいましたが、私のビジネスが父に認めてもらえるレベルに達するまで、ずっとしていようと思っています。残念ながら、まだまだですが」

シューズは、ジョン ロブ

「洋服屋にはエドワード・グリーンが好きな人が多いけれど、当店の顧客である経営者の方々には、圧倒的にジョン ロブが人気です。ジョン ロブだけが持つ、独特の“色気”に惹かれるのでしょう。私もその一人です」

_RL_3946

 一見おっとりして穏やかな印象の大和さんですが、その人生は波瀾万丈でした。

「小さい頃は、家族で小さなアパートに住んでいました。ところが中学生あたりで父が事業で成功し、高校生の頃には、毎月の小遣いとして相当額を貰うほどになりました。今考えると本当に恥ずかしいことなのですが、当時は高校生のくせに、ずいぶんと贅沢をしていました。洋服代には、学生としてはありえないような金額を使っていましたね。ただ、この件に関して母親はいつも反対していました」

 

しかし、お父様のビジネスはかなり厳しい時期もありました。

「いろいろと、とんでもない目に遭いました。今まですり寄ってきた方でそんな時に豹変する人もいることを知っていますよ(笑)。でもそのお陰で、私はリッチな人の気持ちも、そうではない人の気持ちもわかるつもりです。それが今のビジネスに、役立っていることは、言うまでもありません」

 

そんな人生のなかで見つけたのは、家族の絆ということ。

「私は家族というものに対して、人一倍思い入れがあります。楽しい時も、苦しい時も、父と母、そして私と妹は、常にひとつの家族として一緒にがんばって来ました。だからこそ、父に報いたいという思いが強いのです」

 

ネット通販の先駆者、セレクトの異端児・・その心のなかに秘められた、熱いハートを感じたインタビューでした。この先も、大和さんの見ている未来を、フォローしていきたいと思っています。

unnamed

小学校入学式のときの大和少年。お洒落だったお母様が着せたのは、真っ白なスーツ!

大久保篤志さん

大久保篤志さん

 スタイリスト、ザ スタイリスト ジャパン®ディレクター

text kentaro matsuo  photography natsuko okada

_UG20077

たぶん日本で一番有名なメンズのスタイリスト、大久保篤志さんのご登場です。私が初めて大久保さんとお仕事をさせて頂いたのは、今から20年ほど前、大久保さんが雑誌メンズ・イーエックスの表紙を担当されていた時のことです。

当時から、大久保さんは“大御所”と呼ばれていて、ペーペー編集者だった私は大いに緊張したものです。それから20年間、ずっとフロントランナーとして走り続け、今でも業界を代表するスタイリストなのですから、大したものです。

 

ここ10年ほどは、ご自身のブランド“ザ スタイリスト ジャパン®”のディレクターとしても活躍されています。

「最初は1着のボタンダウン・シャツから始まった。自分が着たいと思えるような分厚い生地のものがなかったから、作っちゃったんだ」

それから年を追うごとにコレクションは広がり、今ではトータルにコレクションを展開するブランドに成長しました。

_UG20104

帽子はボルサリーノ×ザ スタイリスト ジャパン®のダブルネーム。

メガネも白山眼鏡店×ザ スタイリスト ジャパン®。

ベルトもHTC×ザ スタイリスト ジャパン®。

コラボ商品は他にも、キジマ タカユキとの帽子や、ハリウッド ランチマーケットとのバンダナなどがあります。

「ウチはダブルネームの商品が多いけど、たいてい個人的な繋がりでやってもらっているよ」

大久保さんのキャリアから考えて、そのネットワークは業界随一でしょう。

_UG20109

シャルはダブル アール エル。

ネクタイは50年代のヴィンテージ。

 

ホースシュー・リングはテンダーロイン。

時計はゴールドのロレックスGMTマスター。1978年のもので、ワンミニッツギャラリーで入手されました。

 

シューズはオールデンのコードバン・ブーツ。

「靴はボリュームのあるヤツが好きで、オールデン、トリッカーズ、ヒロシツボウチしか履かない。これはもう10年は履いているかなぁ」

_UG20122

 相変わらず流石のコーディネイトです。撮影はご自身の仕事場にて行ったのですが、30年間にわたって集めた、数百着ものワードローブは圧巻でした。

 

しかしそんな大久保さんも、かつてはたった1着の服を入手するのにも、苦労していた時代があったとか。

 

「俺が生まれたのは、北海道の枝幸町歌登というところ。旭川まで出るのに3時間もかかる田舎で、とにかく何もなかった。中高生の頃はロックが大好きで、ストーンズから始まって、ディープパープルやツェッペリン、ピンクフロイドなんかを聞いていた。ラジオで曲をチェックして、旭川からレコードを取り寄せて、雑誌『ミュージックライフ』で写真を見るんだ。それらを照らし合わせて『ああ、この人たちは、こんな格好をしているんだ』って初めてわかるんだよ。ネット時代じゃ、考えられないよな(笑)」

_UG20133

そして満を持しての上京ですが・・

「ロンドンブーツにパッチワークのデニムパンツを履いて、得意顔で東京にやって来たんだが、もうすっかり時代遅れだった(笑)」

 

その後、原宿のカジュアルショップでバイトしたり、某大手アパレルへ就職したりしますが、

「まったく会社員には向いていなかった」とわかり1年半で挫折。

 

そんな時に、人生の転機が訪れます。

「友人の紹介で、ポパイのファッション・ディレクターだった北村勝彦さんのアシスタントになったんだ。最初はポパイ、その後アンアン。どちらも絶頂期で、スタイリストの仕事は本当に楽しかった。1980年代はいい時代で、好きなことがなんでも出来た」

 

その頃作られた『スタイリストの本』という本を見せて頂きましたが、スタイリスト自らが企画・キャスティング・撮影のすべてを任されるという一冊で、当時の自由闊達とした雑誌業界の雰囲気が伝わって来るようでした。

 

「仕事が終わると、いつもトゥーリア(かつて六本木にあったディスコ)に行っていた。まるでパトロールのように(笑)。必ず友人がいるので、それから一晩中のハシゴの始まり。最後はレッドシューズが多かったな。とにかくよく遊んだよ」

 

スタイリストになってからの30余年間は、ずっと突っ走って来たと語る大久保さん。今では日本を代表するファッショニスタとして、確固たる地位を築かれましたが、その基本は変わっていないといいます。

「音楽とファッション、今でもそれしかない。本を見ながらあれこれチェックして、レコードを買って、それを聞きながら洋服を作っているときが、最高に幸せなんだ。考えてみるとやっていることは、北海道にいた頃と何にも変わってないな(笑)」

 

このひたむきさと変わらない姿勢が、フロントランナーで居続けられる秘密なのでしょう。

藤原寛一さん

藤原寛一さん

 ギャレット専務取締役

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

_RL_4454

 ギャレット専務の藤原寛一さんのご登場です。ギャレットというのは、ソックスをはじめとして、キャップ、バッグ等、さまざまなファッション・アイテムを扱う総合アパレルです。グループ全体で400人もの従業員を抱えています。自社製品の研究室まで擁しているから驚きです。しかし、25年前に藤原さんが入社した時は、大分様子が違っていたようです。

 

「私が入った大阪支社には、社員が3人しかいませんでした。会社全体でも、15人くらいだったと思います。扱っていたのはソックスだけでした」

 

当時、会社は大変苦しい状況で、起死回生をはかって東京と大阪に支社を出したばかりだったのです。藤原さんは、そこへ就職してしまったというわけです。

 

「ある日社長に言われました。『お前、今からラスベガスのMAGIC(世界最大級のファッション展示会)へ行って来い。そして何でもいいから買ってこい』と。で、いきなり100万円を渡されたのです。『この100万を101万円にしろ』とも言われました。そこで私はその100万円で、帽子を買って帰ってきました。それが当たったのです。そこからさまざまなビジネスが広がっていきました」

 

 25年間で会社は20倍以上に成長したのですから、まさに倍々ゲームですね。その着こなしも、成功したビジネスマンに相応しいものです。

_RL_4476

 スーツはサルトリア セミナーラ。フィレンツェの名店でスミズーラしたものです。

「始めはリヴェラーノで作ろうと思っていたのですが、知り合いに薦められてセミナーラにしました。この色が気に入って」と藤原さんが言うと、すかさず横のスタッフから「いつも同じ色ばかり買われますよね」とのツッコミが。でもお洒落な人ほど、そうなんですよね。

 

シャツはバルバの“ブルーノ”というモデル。

タイは加賀健二さん率いるセブン フォールドです

「先日フィレンツェ店がオープンした時に買いました」

_RL_4489

 時計は、オーデマ ピゲのロイヤル オーク。私とお揃いです。ファッション界には、本当にロイヤル オークをしている方が多いですね。

 

シューズはエドワード・グリーン。1年のうち9割は茶色、そして8割は、スエードの靴を履くそうです。イタリア流の洒落たドレスダウン術です。

_RL_4491

そしてソックスはギャレットオリジナルのgark.(ガーク)というブランド。

「この商品は特許を持っています。履き口のところがナイロン製になっていて、締め付けがキツすぎません。立体的にカカトをホールドする形になっていて、シリコンストッパーが付いていないのに脱げにくいのです」

 

 実は私も一足プレゼントしてもらったので、いま同じソックスを履いてこの原稿を書いているのですが、なるほど快適です。シューズインソックスでお悩みの貴兄はお試しあれ。

_RL_4495

 見事なアズーロ・エ・マローネのコーディネイトですね。お顔までマローネ色によく焼けているので、理由を聞くと、一昨日までカプリ島でバカンスだったそう。

「1年に1度、家族とカプリへ行くのです。プンタ・トラガーラというホテルがあって、そこのプールで一日中ぼーっとしている。とにかく景色が素晴らしいし、来ている人たちもエレガントで、気に入っています」

カプリで休暇とは羨ましい限りです。

 

しかし普段の藤原さんは本当に仕事一筋。仕事のことを伺うと話は止まりませんが、「では、プライベートは?」と聞くと、「う〜ん」と黙り込んでしまいます。

「とにかく今、仕事が楽しくて仕方がない。25年間一生懸命やってきたので、60歳までの数年間は、自分の本当にやりたいことをやっていきたい」

 

それは実用衣料を超えた、本物の高級ファッションだとか(先日ご紹介したACATEもその一環です)。どうやら第2弾、第3弾もあるようで、しばらくは藤原さんから目が離せません。

沖哲也さん

沖哲也さん

 ACATEブランドディレクター、FER BLEU代表取締役

 text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

_RL_2765

新ブランドACATEディレクターの沖哲也さんです。沖さんは、もともとセレクトショップ、バセットウォーカーのPRをなさっていたので、ご存知の方も多いと思います。今回初めて知ったのですが、沖さんのご出身は、東京・墨田区押上だとか。

「スカイツリーのたもとで生まれました。もう、ものすごい下町です。家の周りには、メリヤス問屋がたくさんありました。私の母親はお洒落が好きな人で、私が小学校の頃は、よくイッセイ ミヤケなんかを着ていましたね。その影響で私もファッションが好きになりました」

 

その後、文化服装学院に入学し、オートクチュールを学びます。

「ところが当時の下町では、家業を継がず“文服”なんて、と思われていた。しかもその頃はDCブーム全盛で、私も金髪でスカートを履いていました。もう押上では、塩をかけられる存在でした(笑)」

 

バセットウォーカーに入社されてからは、まず販売を担当されました。

「入社当時は、いくら接客しても、まったく服が売れませんでした。“お客様の財布と自分の財布は違う”という当たり前のことに気付いてから、少しずつ売ることが出来るようになりました」

 

それからPRも掛け持ちするようになりましたが、予算はゼロだったそうです。

「いろいろと考えたあげく、私は編集者やスタイリストの『三河屋さんになろう』と思いました。つまり、彼らの御用聞きということです。自ら企画やウケそうなネタを作って、彼らのところへ持っていきました。私自身の自宅に雑誌編集者を呼んで、編集会議をやったこともあります」

 

こうして生まれた大ヒットが、シューズ・イン・ソックスです。

「当時は夏になると、誰もが裸足でシューズを履いていました。でも、すぐ臭くなるし、衛生上よくなかった。そこで、ローファーの内側に履けて、外からは見えないソックスのアイデアを思いつきました。ですが、そのアイデアをメーカーに持っていっても、相手にしてもらえなかった。そんな時にイタリアのマレルバ社に、冷え防止のためのインナーソックス(靴下の下に履くソックス)があることを発見しました。これがローファー用としてぴったりだったのです。靴を履くと外から見えなくて、まるで素足のようでした。『これだ!』と思って、ぜんぶ買い占めました。すると懇意にしていたスタイリストの浅野康一さんが気に入ってくれて、雑誌メンズ・イーエックスの巻頭で紹介してくれた。そうしたら、もうバカ売れで、ついには“お一人様一足しか売れません”と貼り出す始末となりました」

_RL_2803

 スーツはオラッツィオ。

「マットなベージュなのに、ウール素材というところが気に入って」

 

シャツはバルバ。

「最近はバルバの“ブルーノ”というモデルが気に入っています。襟の形がいいし、エッジぎりぎりにステッチが入っているところが好きなんです」

 

タイはマリネッラ。

「ちょうどいい茶色。フレスコタッチが気に入って」

 

チーフはエルメス。

「シルクチーフはエルメスのみ。レギュラー品も購入しますが、パリの蚤の市クリニャンクールなどでも買い集めています」

_RL_2811

時計はチュードル。ちょっと小さめのMINI SUBですね。

「この時計は14歳のころから愛用しています。昔、香港で祖父に買ってもらったものです。第二次大戦中に中国へ出征していた祖父は、かの地をもう一度訪れたいという希望があり、なぜか私を伴って二人で中国旅行へ出かけたのです。祖父は大正モダンを感じさせる粋な人でした。それ以降も時計はいろいろと買いましたが、結局これだけが残りました」

 

シューズはクロケット&ジョーンズ。

「みんなタッセル履いているから、嫌だなーと思いつつ・・(笑)」

 はい、当日の私もクロケットのタッセルを履いていました。

_RL_2822

 そしてクラッチバッグはACATEです。

「日本のみならず、世界で売っていけるカバンを作りたい、とクライアントであるGRADYsrlの赤石社長より依頼がありスタートしたブランドです。工場探しから始めて、何回もサンプルを作って、ようやく満足のいく形となりました。あえてバッグデザイナーは使いませんでした。なぜならデザイナーが作ると、どうしてもバッグ自体が主張してしまうからです。われわれがやりたかったのは、コーディネイトの中に自然と取り入れられる目立たないバッグでした。ファースト・コレクションは4型8色のみ。しかも売れ筋(35〜40cmのブリーフケース)はあえてやりませんでした。その方がかえってコンセプトが伝わると思ったからです」

 

6月のピッティにも出展され、国内外30社以上の受注を得ました。

「今までのレザーブランドにはないものを作ろうと思っています。セカンド・コレクションでは、“ロングホーズ・ケース”を作ろうと思っています。旅行中などに長靴下を収納するためのものです。でも、そんなもの誰も見たことがないから、どういう構造にしようかと、いま思案中なのです(笑)」

 

この自由な発想から生み出されるACATEに、ぜひ注目して下さい!

_RL_2829

ACATEのバッグ、左:H35×W50×D18cm 右:H35×W48×D14cm

Acate

http://acate-borsa.it/

清水宗己さん

清水宗己さん

 編集者、ライター、コピーライター、放送作家、スキッパー、超兄貴

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

_RL_2589

さまざまな肩書きを持つ、清水宗己さんのご登場です。

私が清水さんと初めてお会いしたのは、今から20年以上前のことです。当時は雑誌メンズ・イーエックスの創刊スタッフとして活躍されており、圧倒的なパワーと造詣で、編集の現場をグイグイと引っ張っておられました。その頃の私はまだ20代のぺーぺーで、清水さんに言われるがままに駆けずり回るばかりで、その圧巻の仕事ぶりを、目を丸くして眺めていたものです。

 

清水さんは、海外を転戦するような本格的なレースにも参戦する、プロのヨットマンでもありました。いつも真っ黒に日焼けした肌と、筋肉隆々の体、そして豪快な性格から、皆に“超兄貴”と呼ばれていました(兄貴を超えた兄貴ということで)。今回久しぶりにお会いしましたが、その超兄貴っぷりに、いささかの衰えもありません。

 

撮影現場にTシャツと短パンに現れた清水さんは、開口一番、

「いやぁ、沖縄でレースに出て来たばかりなんだけど、いろいろやっちゃってさぁ・・・手首をひねって手がパンパンになっちゃったよ」と破顔一笑。

見れば左手は大きく腫れており、膝小僧には大きなバンソウコウが貼ってあります。まるでガキ大将(失礼!)のようなお姿です。しかしこれで御年70歳なのですから驚きです。

 _RL_2619

コットンのスーツはバタク。生地は昔のハリソンズを使って、アメトラ風に仕上げてあります。

「いつもはTシャツに短パンばかりだけど、ヨット関係はパーティも多い。そういう時には、スーツも必要なんだ。しかし胸板が厚くて骨太なので、既製品だと合わない。そこで友人から薦められたバタクで、一着誂えてみることにしたんだ。実際に作ってみたら、オーソドックスで着やすくて、すごくよかった。今ではスーツ3着に、ブレザーも持っているよ」

 

ボタンダウンのシャツもバタク。素材はギザのロイヤルオックス。

 

メガネはルノア

「ヨットに乗りすぎて目が焼けてしまった。だからいつもサングラスが必要なんだ。ルノアはシュツットガルトにある工房へ取材に行ってからファンになった。これはグローブスペックスの岡田哲哉さんに作ってもらったもの。彼は検眼が上手だから安心して任せられるね」

実は私も、岡田さんに作ってもらったルノアを愛用しています。

_RL_2641

 時計はジラール・ペルゴのトノータイプ。

「買ったのは90年代前半かな。当時のメンズ・イーエックスの時計担当に薦められてね。前社長のルイジ・マカルーソ氏とは何度も会ったことがある。もう死んじゃったけど、いい人だった・・」

 

シューズはジェイエムウエストン。90年代にずっと通っていたジュネーブで買ったもの。

 

「若い頃はVANの影響で、アメリカン・トラッドが流行っていた。昔はアメ横へ行って、ハナカワや小池といった店でよく買い物をしたな。今でも基本的にはアメトラが好きだ」

_RL_2648

清水さんは、学生時代からコピーライターとして仕事を始め、スタヂオ・ユニ、サン・アド(元サントリー宣伝部)、ブルータス、ターザンなど、超一流処を渡り歩いて来られました。

「サン・アド時代に、オーストラリアからハワイまで回る、大きなヨットレースに出場できるチャンスがあって、どうしようか迷っていたら、当時の上司に、『そんなもの簡単だ。今すぐ辞表を書け。滅多にないチャンスなんだろ』と言われた。それが開高健さんだった」

 

その後、1980~90年代にかけて、日本の広告・マスコミ業界が、最も輝いていた時代を駆け抜けました。

「80年代には、毎月のようにロサンゼルスへ行っていた。当時は円が強かったから、日本でロケするより、その方が安かったんだ。札束を抱えていって、外国人スタッフ全員に、毎日現金でギャラを払っていた。パタゴニアのイヴォン・シュイナードと知り合ったのもその頃。ベンチュラの本社は肉屋の建物をリノベしたもので、近くには社員のためのアウトレットがあった。そこでずいぶんと買い物をしたよ」

 

小さくまとまってしまった今の編集者と違って、清水さんの時代は何もかもが豪快です。

「南米のインディオの結婚式を取材することになったんだ。ところが直前になって、『カネがなくて、式が挙げられない』という。『どうすればいいんだ』と聞いたら、『とりあえず牛一頭あれば、なんとかなる』ときた。だから本当に牛一頭買ってプレゼントしたんだよ。その牛を丸ごと焼いて食べたんだが、中の方は生焼けで、アレには閉口したなぁ(笑)」

 

こういったエピソードは、枚挙に暇がありません。

 

さらに清水さんは、横浜の伝説のライダース・クラブ“ケンタウロス”のオリジナル・メンバーでもあります。

「ボスの飯田さんは、もともとは関内の本屋の息子なんだ。東洋大の哲学科を出たインテリでね。そこで声をかけられてケンタウロスに入った。だからイメージとは違うかもしれないけど、ケンタウロスはとても知的なクラブで、メンバー13人のうち4人はクリエイターだったんだ。雑誌“ライダース クラブ”の創刊を手掛けたのも、ケンタウロスのメンバーたちだった」

 

昔の雑誌は面白かったと言われますが、それは清水さんのような人たちが手掛けていたからでしょう。

「面白い人が作る本が、面白い」

現代のサラリーマン編集者としては、反省することしきりです。

 

超兄貴! また、いろいろと教えて下さいね!