From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

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大和一彦さん

大和一彦さん

B.R.SHOP/B.R.ONLINE オーナー、エグゼクティブプロデューサー

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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なんだか今回はちょっと勝手が違います。なぜならこの大和一彦さんこそ、私がこのブログを始めるきっかけだった人だからです。当ブログは、かつては大和さんの経営するB.R.ONLINEのなかの一コンテンツでした。B.R.ONLINEは、膨大なトラフィックを誇るファッション・サイトで、そのお陰で、私のブログも、それなりに有名になったのです。いわば、もともとの雇い主を取材しているようなもので、ガラにもなく、ちょっと緊張しました。

 

B.R.SHOPは、神宮前に実店舗を構える、れっきとしたセレクトショップですが、フツウのセレクトとは、ひと味違います。ウェブサイトでの売上げが、非常に多いのです。

「メディア事業も行っていますので広告売り上げを含めると、ウェブでの売上げと店舗での売上げの比率は、7:3といったところでしょうか。ウチがウェブで洋服を売り出したのは、1997年のことです。当時は『ホームページって何?』という人もいたくらい。もしかすると、日本で最も早くネットで洋服を売り出したのは、われわれかもしれません」

 

その後のアプローチも、実にユニークです。

「メンズのトレンドというのは、ほとんど気にしていません。それよりも、レディスを見る。レディスのトレンドのなかで、メンズに受け入れられるものは何か? と考えます。例えば今季は、ゆったりしたロングコートがよく売れていますが、これもレディスの流れを見て、大量発注したのです。逆に巷で流行っているワイドパンツは、一部取り入れるだけに留めました。これもレディスの世界では、ワイドとスキニーが両立しており、きっとメンズでもそうなると思ったからです」

 

 あらゆる意味で“先見の明”がある方だと申せましょう。

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スーツは、デ・ペトリロ。素材はストレッチの効いた細畝コーデュロイです。

「B.R.SHOPでは、スーツを普段使いするという提案をずっと続けて来ましたが、ようやく最近受け入れられつつありますね。こんなカジュアルなスーツが売れています」

 

ニットはクルチアーニ。

「これも何千枚も売れた定番商品ですが、今季はちょっとだけ丈を長めにしました」

この案配が絶妙です。

 

スカーフは、キンロック。

「私のような細身の人間は、インナーがニットだけだとちょっと寂しい。だからクルーネックには、なるべくスカーフを合わせるようにしています。エルメスのヴィンテージなども、たくさん持っています」

トレードマークでもあるメガネは、フォーナインズ

「フォーナインズには、オーダーレンズというものがあるのです。それぞれの人の顔に合わせてレンズを作ってくれるシステムで、どこを見ても見やすい。他のものをかけると疲れてしまいます。昔はたくさんのメガネを持っていましたが、いまはフォーナインズばかりです」

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ブレスレットはエルメス。

「アクセサリーやスカーフ、それからスニーカーやTシャツなども、妻とシェアすることが多いですね。サイズが似ているので、着回せるのです。それに何より、買う時に言い訳ができるじゃないですか(笑)」

この点ばかりは、羨ましい限りです。私が妻とシェアできるのは、家のローンくらいです・・

 

時計はロレックスのエクスプローラーⅠ。この時計には、非常に思い入れがあるとか。

「20歳になった時に、父に買ってもらったものです。一級建築士、そして不動産で成功した父は、常に私の目標なのです。父はすでに他界してしまいましたが、私のビジネスが父に認めてもらえるレベルに達するまで、ずっとしていようと思っています。残念ながら、まだまだですが」

シューズは、ジョン ロブ

「洋服屋にはエドワード・グリーンが好きな人が多いけれど、当店の顧客である経営者の方々には、圧倒的にジョン ロブが人気です。ジョン ロブだけが持つ、独特の“色気”に惹かれるのでしょう。私もその一人です」

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 一見おっとりして穏やかな印象の大和さんですが、その人生は波瀾万丈でした。

「小さい頃は、家族で小さなアパートに住んでいました。ところが中学生あたりで父が事業で成功し、高校生の頃には、毎月の小遣いとして相当額を貰うほどになりました。今考えると本当に恥ずかしいことなのですが、当時は高校生のくせに、ずいぶんと贅沢をしていました。洋服代には、学生としてはありえないような金額を使っていましたね。ただ、この件に関して母親はいつも反対していました」

 

しかし、お父様のビジネスはかなり厳しい時期もありました。

「いろいろと、とんでもない目に遭いました。今まですり寄ってきた方でそんな時に豹変する人もいることを知っていますよ(笑)。でもそのお陰で、私はリッチな人の気持ちも、そうではない人の気持ちもわかるつもりです。それが今のビジネスに、役立っていることは、言うまでもありません」

 

そんな人生のなかで見つけたのは、家族の絆ということ。

「私は家族というものに対して、人一倍思い入れがあります。楽しい時も、苦しい時も、父と母、そして私と妹は、常にひとつの家族として一緒にがんばって来ました。だからこそ、父に報いたいという思いが強いのです」

 

ネット通販の先駆者、セレクトの異端児・・その心のなかに秘められた、熱いハートを感じたインタビューでした。この先も、大和さんの見ている未来を、フォローしていきたいと思っています。

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小学校入学式のときの大和少年。お洒落だったお母様が着せたのは、真っ白なスーツ!

大久保篤志さん

大久保篤志さん

 スタイリスト、ザ スタイリスト ジャパン®ディレクター

text kentaro matsuo  photography natsuko okada

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たぶん日本で一番有名なメンズのスタイリスト、大久保篤志さんのご登場です。私が初めて大久保さんとお仕事をさせて頂いたのは、今から20年ほど前、大久保さんが雑誌メンズ・イーエックスの表紙を担当されていた時のことです。

当時から、大久保さんは“大御所”と呼ばれていて、ペーペー編集者だった私は大いに緊張したものです。それから20年間、ずっとフロントランナーとして走り続け、今でも業界を代表するスタイリストなのですから、大したものです。

 

ここ10年ほどは、ご自身のブランド“ザ スタイリスト ジャパン®”のディレクターとしても活躍されています。

「最初は1着のボタンダウン・シャツから始まった。自分が着たいと思えるような分厚い生地のものがなかったから、作っちゃったんだ」

それから年を追うごとにコレクションは広がり、今ではトータルにコレクションを展開するブランドに成長しました。

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帽子はボルサリーノ×ザ スタイリスト ジャパン®のダブルネーム。

メガネも白山眼鏡店×ザ スタイリスト ジャパン®。

ベルトもHTC×ザ スタイリスト ジャパン®。

コラボ商品は他にも、キジマ タカユキとの帽子や、ハリウッド ランチマーケットとのバンダナなどがあります。

「ウチはダブルネームの商品が多いけど、たいてい個人的な繋がりでやってもらっているよ」

大久保さんのキャリアから考えて、そのネットワークは業界随一でしょう。

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シャルはダブル アール エル。

ネクタイは50年代のヴィンテージ。

 

ホースシュー・リングはテンダーロイン。

時計はゴールドのロレックスGMTマスター。1978年のもので、ワンミニッツギャラリーで入手されました。

 

シューズはオールデンのコードバン・ブーツ。

「靴はボリュームのあるヤツが好きで、オールデン、トリッカーズ、ヒロシツボウチしか履かない。これはもう10年は履いているかなぁ」

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 相変わらず流石のコーディネイトです。撮影はご自身の仕事場にて行ったのですが、30年間にわたって集めた、数百着ものワードローブは圧巻でした。

 

しかしそんな大久保さんも、かつてはたった1着の服を入手するのにも、苦労していた時代があったとか。

 

「俺が生まれたのは、北海道の枝幸町歌登というところ。旭川まで出るのに3時間もかかる田舎で、とにかく何もなかった。中高生の頃はロックが大好きで、ストーンズから始まって、ディープパープルやツェッペリン、ピンクフロイドなんかを聞いていた。ラジオで曲をチェックして、旭川からレコードを取り寄せて、雑誌『ミュージックライフ』で写真を見るんだ。それらを照らし合わせて『ああ、この人たちは、こんな格好をしているんだ』って初めてわかるんだよ。ネット時代じゃ、考えられないよな(笑)」

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そして満を持しての上京ですが・・

「ロンドンブーツにパッチワークのデニムパンツを履いて、得意顔で東京にやって来たんだが、もうすっかり時代遅れだった(笑)」

 

その後、原宿のカジュアルショップでバイトしたり、某大手アパレルへ就職したりしますが、

「まったく会社員には向いていなかった」とわかり1年半で挫折。

 

そんな時に、人生の転機が訪れます。

「友人の紹介で、ポパイのファッション・ディレクターだった北村勝彦さんのアシスタントになったんだ。最初はポパイ、その後アンアン。どちらも絶頂期で、スタイリストの仕事は本当に楽しかった。1980年代はいい時代で、好きなことがなんでも出来た」

 

その頃作られた『スタイリストの本』という本を見せて頂きましたが、スタイリスト自らが企画・キャスティング・撮影のすべてを任されるという一冊で、当時の自由闊達とした雑誌業界の雰囲気が伝わって来るようでした。

 

「仕事が終わると、いつもトゥーリア(かつて六本木にあったディスコ)に行っていた。まるでパトロールのように(笑)。必ず友人がいるので、それから一晩中のハシゴの始まり。最後はレッドシューズが多かったな。とにかくよく遊んだよ」

 

スタイリストになってからの30余年間は、ずっと突っ走って来たと語る大久保さん。今では日本を代表するファッショニスタとして、確固たる地位を築かれましたが、その基本は変わっていないといいます。

「音楽とファッション、今でもそれしかない。本を見ながらあれこれチェックして、レコードを買って、それを聞きながら洋服を作っているときが、最高に幸せなんだ。考えてみるとやっていることは、北海道にいた頃と何にも変わってないな(笑)」

 

このひたむきさと変わらない姿勢が、フロントランナーで居続けられる秘密なのでしょう。