From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

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岡田大貳さん

岡田大貳さん

 

ダイニズテーブル オーナー/ZIG代表取締役

interview kentaro matsuo photography tatsuya ozawa

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今年開店35周年を迎えたモダンチャイニーズの草分け、ダイニズテーブルには、今でも「東京の、ちょっと特別な人たち」が集まっています。華やかなモデルたちのグループの横では、上品な白髪のマダム(推定所得は私の千倍くらい)が談笑していたりします。

 

そのオーナー、岡田大貳さんといえば、私のような世代には、一種“レジェンド”のような存在です。伝説のクラブ、キャステルを皮切りに、ザ・ビー、ダイニズテーブル、ブラッスリーDなど、東京を代表する名店をプロデュースしてきた方だからです。なかでも、千駄ヶ谷にあったクラブDはその白眉で、当時のDは、まるで東京中のお洒落な人たちが、一カ所に集まったような活況を呈していました。

 

当時の私はまだ学生で、恐る恐るという感じでDを訪れ、肩をすぼめながら周りを見回している小僧でした。クラブDの“D”は大貳のDだということは知っていました。岡田さんはいつも華やかなファッション・ピープルに取り巻かれていて、皆から「大ちゃん、大ちゃん」と慕われており、近づくことなど、とても出来ないオーラを放っていました。その姿を遠くから見つめ、「あれが、岡田大貳さんなんだぁ〜」と、目を丸くしていたことを覚えています。

 

昔もカッコよかったですが、現在も、ますますカッコいいですね。

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スーツはキートン。「随分前に安く譲ってもらったもの」とのこと。

「客商売ですから、毎日スーツかジャケットを着ています。ストライプ模様のダブルが多いですね。ネクタイも必ず締めています」とはさすがです。

 

シャツはK’S PAPA。青山にあるオーダーシャツのお店です。

「以前はルイジ・ボレッリもよく着たのですが、今はここでオーダーしたものばかりです。色はほとんど白ですね。ちょっとドビー調の生地で、台襟高め、ダブルカフスのモデル。襟の形も決まっています。同じシャツは10枚ばかり持っていて、毎日着ています。昔はストライプのシャツも着ていましたが、もう面倒くさくなってしまって(笑)」

 

タイは、ユナイテッドアローズで買ったイタリア製。ブランドは?です。

「夏はニットタイが多いです。派手な色のタイは、決してしません」

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ゴールドのチェーンカフスは結婚を祝して友人方がプレゼントしてくれた大切な品で、ホアキン・ベラオ本人が作ってくれたものだそう。

 

靴はベルルッティの“アンディ”で、青山ツインタワーのお店が出来たばかりのときに購入したもの。パティーヌ調のモデルではなく、ブラックというところがお洒落です。他にはジョン ロブもよく履かれるとか。

 

「装いに関してはオーソドックスな形と色を心がけています。そして『お店に出る』ということを意識しています。ほぼ毎日、ダイニズテーブルに顔を出して、来て頂いているお客様に挨拶をするので」

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岡田さんがここまでお洒落になったのは、お父様の影響が大きかったようです。彼は宝塚や東宝などに所属された演出家で、有名ナイトクラブ赤坂ミカドなども手がけられていました。

「父はとてもお洒落な人で、フランスのAdamというメンズ・マガジンを購読していました。私は暁星、上智でフランス語を齧っていたので、よく辞書を片手にそれらの雑誌を読んでいました。ピエール・カルダンをはじめ、そこで紹介されていた人たちは、本当に素敵でした。」

 

神田や横浜の店に行って靴や洋服を漁る傍ら、レストラン巡りも欠かしませんでした。

「当時はなぜかピザ屋がカッコよかった。シシリア、アントニオ、ニコラスといった店によく行きました。そしてピザだけではなくて、酒もよく飲んだ。初めてドライマティーニなるものを飲んだのは、六本木ニコラスでしたね」

 

1969年に渡仏。本場の食文化に触れ、目から鱗の体験をします。

「お金を貯めて、たった一人でスーツを着て、ラセール、マキシム、トゥールダルジャンといった名店を廻りました。なかでもキャステルというプライベートクラブには驚きました。1階がバー、2階がレストランで、地下がディスコ。皆夜の10時くらいからディナーを始めて、その後地下へ行く。ジャンヌ・モローやロベール・オッセンといった有名人が毎晩のように集まっていて、それは華やかでした。当時の東京には、どこを探してもそんな店はありませんでした」

その後、岡田さん本人が、東京にキャステルの支店を開くことになったのは、前述の通りです。

 

「パリ時代は、ロンドンにもよく出かけていました。特にMR CHOWという中華料理店には、影響を受けました。モデルのティナ・ラッツのご主人でもあった、マイケル・チャウの店で、中華なのに、真っ白なテーブルクロスが引いてあって、シルバーの食器と赤白のワイングラスがセットしてあった。コックは中国人で、ウェイターはイタリア人、受付にはキレイな英国人の女の子たちがいた。実はダイニズテーブルのコンセプトは、その店を手本としているのです」

 

今でこそ、エントランスの前にトイレを設けていたり(女性は着席する前に、化粧を直したいであろうから、という配慮より)、内装をクロス張りにしたりすることは当たり前ですが、そういったことは、すべて欧州帰りの岡田さんが、初めて日本に持ち込んだものなのです。

 

今春35周年を迎え、ダイニズテーブルはメニューの大刷新をし、“フレンチの料理人が考案する中華料理”というコンセプトに挑戦し始めたそうです。岡田さんの出自をお聞きするに連れ、今回のメニューコンセプトのリブランドによって、改めてその原点に立ち返られたような気がするのです。

 

重松理さん

重松理さん

株式会社ユナイテッド アローズ名誉会長

interview kentaro matsuo photography tatsuya ozawa

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今回から、THE RAKEのサイトにて、毎回ニッポンのお洒落な方を紹介するブログを始めさせて頂くことになりました。

日本人は、本当にお洒落だと思います。ピッティやミラコレの会場へ行っても、日本人のバイヤーやショップスタッフは、際立ってスタイリッシュです。確かに欧米人は、背も高いし、スタイルもよく、プレゼンテーションがうまいので、一見華やかに見えますが、ディテールに目を移すと、日本人のほうがサイズ感とテクニックに関しては上で、決して負けているとは言えないと思います。

さて、そんなブログのスタートを切るにあたって、最も相応しいと思ったのが、(株)ユナイテッド アローズの名誉会長、重松理さんです。重松さんと言えば、かつてはビームスの創業メンバーで、その後、(株)ユナイテッド アローズを興した、文字通りのミスター・セレクトショップです。草分けであり、セレクトの歴史は、この方と共にあったと言っても過言ではありません。

日本においては全国を網羅するセレクトショップですが、実は海外だと、ああいった形態の店はあまりないのです。クラシックを中心に、基本的なワードローブから流行のものまで、バランスよく揃えてあって、予算に応じてチョイスできる。そんな店は、本場ミラノでも、数えるほどしかありません。セレクトで、お洒落の基本と応用を学べたからこそ、日本人は、ここまでファッショナブルになれたのだと思います。そしてそれは、重松さんのお陰であったと言えるでしょう。

ジャケットは、ユナイテッド アローズ(UA)がよく発注している、大阪のメーカーI.J.I unitにオーダーして作ってもらったもの。

「ここではもう、20着くらい作りましたが、ダブルはこれが初めてですね。ジャケットの形が気に入っているんです。UAで展開するカモシタ ユナイテッドアローズのアイテムも、一部I.J.I unit製です」

パンツも同じく、I.J.I unitで作ったもの。裾幅は25センチ、ダブル幅は6センチもあります。こういったワイドパンツは、重松さんのトレードマークです。

「以前はいわゆる細身のパンツも履いていたのですが、もう飽きてしまって。ここ15年ばかりは、70年代のサンローランが作っていたような、パンタロン風のパンツばかり履いています。これは彼へのオマージュなのです」

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 シャツは、やはりUAでお付き合いのあるファクトリー、トーホーシャツ有限会社製。色違い素材違いで、20枚ほどオーダーしたそうです。

「首が長いので、台襟の高いものでないとダメなんです。しかしそういうシャツは、今流行っていないので、どうしても誂えることになります」

メガネは原宿のオプティシアン・ロイド。同じ形の素材違いで、10本くらい持っています。

時計はカルティエの、タンク ルイ カルティエ サファイア スケルトン。2014年のジュネーブ・サロンにて発表された新作です。

「展示会で、一目見て気に入った」そうですが、「見た目だけで買いました。キカイのことは全然わからない」とか。

リング類は、すべてオーダーメイド。自分で買って来た石を、株式会社柏圭にて仕立ててもらいました。一番大きい指輪に使われている双子のダイヤは、かつてはイヤリングに使われていたものだそうです。

ストールはドリス ヴァン ノッテン。ストールは大好きなアイテムで、400本ほど持っているそうです。

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シューズは、マックス ヴェッレ。彼はグッチやトム・フォード、セルジオ・ロッシなどのデザインを手がけていた、注目のシュー・デザイナーです。

「マックスヴェッレのことは、もともとぜんぜん知りませんでした。しかしある日、自分が好きで買っていた靴は、ほとんど彼がデザインしていることがわかったのです。そこでその後、彼の工場まで行って、オーダーをしてきたんです」と惚れ込んでいるご様子です。

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ちなみに、スーツとジャケットは150着、シャツは300枚、タイは200本、靴は「かつては400足持っていたけれど、今は当社の資料室に大半を寄付したので」150足ほどお持ちだそうです。やっぱり只者ではないですね。

「今日は繊研新聞主宰の“繊研賞”の選考委員を務めてきたため、フォーマルな、きちんとした格好を心がけてきました。さっきまで、これにネクタイを締めていたのです」と。重松さんクラスでも、やはりTPOは大切です。

「70年代のサンローラン的なものを、今の感覚で置き換えたようなアイテムが好きですね。しかし、そんなモノはどこにも売っていないので、自分で作っているのです」

1949年、逗子生まれの重松さんにとって、ファッションの“めざめ”は、やはりアメリカだったそうです。

「8歳年上の姉がアメリカに住んでいたので、よくいろいろなモノを送ってもらっていました。細身のジーンズにハッシュパピーやコンバースを合わせるのが定番でしたね。バイトして稼いだお金も全部洋服につぎ込んでいました。払いがよかったので、土木作業員やダンプの運転手までやっていたことがあるんですよ」とは、驚きです。

「その後、サンローランに出会って、ヨーロッパ風のものに夢中になりました。自分はビームススタート時も当初はヨーロピアンだったんです。自分の中では、いつもアメリカとヨーロッパが半々という感じでした」

そんな重松さんが、今一番力を入れているのは“日本”ということです。

「例えば日本が誇る伝統工芸、大島紬の織り手も、最盛期の5%まで減ってしまった。なので奄美大島に手織りの工房を持って、そこで織られた生地で、ジャケットやパンツなどの洋服を作って売るつもりなんです。また京都では、伝統的な建築技術を使って、茶室や能舞台などを備えた多目的スペースを建てるプロジェクトも進んでいます」

日本のお洒落文化、セレクトショップ文化を牽引して来た第一人者は、その原点に、もう一度立ち返っているようです。