Monday, June 26th, 2017

The view from the mountaintop

史上最高のグループ―“ラット・パック”
「あなたたち、まるでラット・パック(チンピラ集団、ネズミの群れ)みたいよ」。かつてローレン・バコールは、苛立ちまぎれにそう言った。
フランク、ディーン、サミー、ジョーイ、そしてローフォードが結成したこのグループは、アメリカ中を熱狂させた。
唯一の問題は、彼らがとてつもない高みに達し、太陽に近づきすぎたことだった……
text james medd

 アメリカの男性エンターテイナーの中でも“ラット・パック”はまれに見る存在だ。フランク・シナトラとその相棒たちにとって、50年代末期は絶好のタイミングだった。好景気によってプロテスタント的な禁欲は影を潜め、第二次世界大戦の記憶は薄れ、ベトナムはまだ、はるか彼方の国だった。彼らはショーマンとして史上最高のポジションに登りつめた。
 ただ仲間とたむろしているだけのように見えるパフォーマンスによって、音楽・映画・舞台の世界を席巻した。仕事と家庭だけが人生ではないと謳い、たった数年間で、数えきれないほどのニュースやゴシップを生み出した。彼らの打ち立てたクールさの新しい基準は、その後、長く受け継がれることになった。

始まりは“ボギー”から

 初代のラット・パックはハンフリー・ボガートが中心だった。ボガートは、タフでありながら繊細なイメージの男を演じ、一時代を築いた。シナトラは当初、ボガートと彼の妻であるローレン・バコールが採用した若手メンバーだった。デイヴィッド・ニーヴン、スペンサー・トレイシー、ケイリー・グラント、レックス・ハリソンらと懇意にしていた夫妻が、シナトラを仲間に引き入れたのである。
 ある夜、ぐでんぐでんに酔っぱらった彼らは、ボガートの家に戻るや否や、床にばったりと倒れ込んだ。バコールは「あなたたち、まるでラット・パック(チンピラ集団、ネズミの群れ)みたいよ」と声を荒げた。仲間たちはその言葉を気に入り、自分たちのグループ名として採用した。「ネズミを決して裏切るな」というモットーをあしらった、紋章までデザインした。
 シナトラはこの仲間意識をたいそう気に入っていた。1957年にボガートが他界すると、シナトラは同業者を誘って、自分だけのグループを作った。
 まず仲間に加わったのは、ディーン・マーティンだった。飛び切りハンサムでカリスマ性に満ちたこの歌手は「ザ・キング・オブ・クール」という愛称で呼ばれていた。その歌声のみならず、持ち前のウィットとユーモアに富んだトークも魅力的だった。彼はコメディアンのジェリー・ルイスとコンビを組んでいたが、1956年にけんか別れしていたため、新しい仲間を見つけたいと思っていた。
 サミー・デイヴィス・ジュニアは、ダンサーをしていた1941年にシナトラと出会った。クルーナー(抑えた低い声でささやくように歌う歌手)、キャバレーのパフォーマー、ブロードウェイスターとして活動したが、ダンスや歌と同じくらいモノマネが得意だった。
 コメディアンのジョーイ・ビショップも仲間入りした。“しかめ面のコメディー王”として知られたビショップは、陽気なグループの引き締め役を担った。最後のひとりは、イギリス人俳優のピーター・ローフォードだった。ナイトの称号を持つ軍人の息子で、ジョン・F・ケネディの妹、パトリシア・ケネディと結婚するという大金星を挙げていた。
 そんな5人に負けず劣らず華やかな女性たちも、グループのもとに集った。彼女らは、アンジー・ディキンソン、シャーリー・マクレーン、ジュリエット・プラウズのような、単独でショーや映画の主役を務められるスターばかりだったが、ここでは脇役だった。ここは男子のためのクラブだったのだ。

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Adolphe Menjou アドルフ・マンジュー

『オーシャンと十一人の仲間』の撮影現場で。左から、フランク・シナトラ、ディーン・マーティン、サミー・デイヴィス・ジュニア、ピーター・ローフォード、ジョーイ・ビショップ(1960年)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 16
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