Monday, July 24th, 2017

THE SUMMER OF ’68

バルドーを射止めた男、ジジ
ジジ・リッツィは、フェリーニの幻想の世界を地で行くような色男だった。
究極のフランスのセックスシンボル、ブリジット・バルドーですら虜になるほどに。
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バルドーの心を奪ったジジ

 彼がバルドーの目に留まったのも、無理はない。リッツィより10歳年上の34歳だった彼女は、ギュンター・ザックスとの3度目の結婚に既に嫌気がさしていた。ザックスはヘリコプターから何千本ものバラを撒いて、彼女のハートをつかんだという。豪華さではかなわなかったリッツィだが、彼女との間には確かに恋の炎が燃えあがった。「君はかよわく悲し気で、知的で繊細。プライバシーを大事にする人だ」と、リッツィは、公開書簡に書いている。
「プライバシーが侵害されると激怒していた。大抵はバズーカのごとくフラッシュをたくカメラマンに対してね。君は神話の裏側で生身の人間として存在していた。だからこそ大好きだった。君の側にいると、自分が世界で一番大切な人間だと感じるようになり、君と一緒に吸う空気しか呼吸する価値がないと思ってしまう」
 運命の力はふたりで楽しんだスポーツにも働いていた。バルドーは、最初のデートでリッツィを水上スキーに招待した。おめでたいことに、彼がポルトフィーノで世界チャンピオンから技術を学んでいたことなど知るよしもなく。さらに、リッツィがバルドーが所有するヴィラの外でパパラッチたちを振り払った後、景気づけに飲んだのが(コーヒーを出されたにもかかわらず)ロゼ2杯だったのを見て、彼女はそのフランクで快楽主義的な陽気さの虜になったようだ。かくして、ナイトクラブも酒も、注目を浴びることも嫌いなバルドーと、そのどれもが好きなリッツィという、意外な組み合わせのふたりの間で、究極の夏の情事が始まった。
 両者とも、時間の短さは、単に凝縮された時間というだけでなく、その分魅力的な時間に変えてくれるものだと解釈していたようだ。月明りの下で水上スキーをしたり、彼女のクルーザーのデッキから素っ裸で海に飛び込んだりしていたわずか数カ月後、彼らは憎しみ合うこともなく別れた。「ジジは優しかった」と、バルドーにしては珍しく元カレに賛辞を贈っている。
「互いに求めたのは、喜びとシンプルさだけ。一瞬の時間だったのよ」

プレイボーイから農家へ

 その後リッツィは、バルドーにとっての主演男優という座についたおかげで、俳優になる夢を追いかけることができた。とはいえ、まわってくるのは必然的にプレイボーイの役ばかり。彼のイメージは、ヴェルーシュカ、ジャクリーン・ビセット、シンシア・レノン、ナタリー・ドロン(アランの元妻)など、モデルや女優と立て続けに浮名を流したことで、ますます固まっていったのだった。
 また、ナイトクラブ通いで培った豊富な経験を生かし、レジタリアンの仲間と一緒に、1969年にミラノでイタリア初の本格的なディスコといわれる「ナンバーワン」という店を開いた。リッツィとその仲間が華やかに飲み騒いでいたフランスのディスコをモデルにしたこの店はあっという間にお洒落な人々の間で人気を博し、ローマのヴェネト通りに2軒目をオープンする。しかしこの2軒目が、リッツィの転落のきっかけとなる。1972年、店のトイレでコカインが見つかり、レジタリアンはイタリア当局の取り調べを受けることとなったのだ。
 ディスコは閉店に追い込まれ、リッツィもここは剣をさやに納めるのが賢明と判断。1970年代半ばにブエノスアイレスへと移住し、最終的にリハビリ施設に入院した。その後更正できたのは、彼の妻で、3人の子供の母親となったアルゼンチン人女性、ドローレス・マイヨールの内助の功のおかげだろう。さらに、彼は農家へと思いもよらない転身を遂げる。大農牧地帯であるパンパへ引っ越し、農作物を育てたり、牛を飼育して品評会で受賞したりするような生活を20年間続け、引退後はイタリアへ戻り、リグーリア海岸に自宅を構えた。
 この頃のリッツィは、シニアのセックスシンボルの代表格としてトークショーで話題を呼んだ。決して裕福ではなかったが、世界一魅惑的な女性のハートを射止めたひとりのプレイボーイとして数々の奔放な色恋話を語り、不可能なものなどないと思えた激動の時代を振り返った。伝説の人物として、彼は輝き続けたのだ。
 リッツィが死を迎えた場所は、くしくもかつて華やかに飛び回っていた彼の地だった。2013年、69歳の誕生日を祝いにサントロペを訪れていたときのことだ。「今でもあの魅力的な夏を思い出す」と、バルドーへの手紙に書き綴っている。
「それに、今でも僕は君の友達だ。では、また会える日まで」
 もの悲しげな口調に惑わされてはいけない。リッツィは生涯遊び人を貫いた。恋愛で悩んだことがあるかという質問に対し、「もちろん、何度もあるよ」と彼は答えている。「急いで立ち直るけどね」と付け加えて。

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1968年頃、バルドーとリッツィ

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1970年頃、女優のクローディーヌ・オージェ、デザイナーのニノ・セルッティと

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胸元をはだけたシャツがトレードマークのジジ・リッツィ。1968 年、バンドのミュージシャンたちと。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 17
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