Monday, July 24th, 2017

THE SUMMER OF ’68

バルドーを射止めた男、ジジ
ジジ・リッツィは、フェリーニの幻想の世界を地で行くような色男だった。
究極のフランスのセックスシンボル、ブリジット・バルドーですら虜になるほどに。
text stuart husband

 1968年の最重要人物をまとめたニューズウィーク誌の記事がある。この年の顔として名前が挙がったのは、チェ・ゲバラ、クリスチャン・バーナード、そしてジジ・リッツィだ。この「ジジ」とは何者なのか。ポルノ映画スターの名前選びなら最有力候補にでもなりそうな名前だが、まぎれもない当時の偉人のひとりだ。リッツィは、ラテンアメリカにマルクス主義革命を広めたり、世界初の人から人への心臓移植を実施したりすること以上に、重大で画期的なことを成し遂げたといえる。彼は1968年の夏、究極のフランスのセックスシンボル、ブリジット・バルドーを射止めたプレイボーイとして、世界中の男たちの羨望の的となった人物だ。
 当時の写真からは、バルドーとリッツィが、さまざまなリゾートで華やかな生活を送っていた様子が窺える。彼女の定番のファッションといえば、くたっとしたサンハットにタンクトップか、マイクロドレス。一方、へそまではだけたシャツに、股上の浅いコーデュロイパンツやベルベットパンツを合わせ、こんがりと日焼けした肌に満足気な笑みを浮かべるリッツィ。ふたりはパイレーツ風のバンダナでペアルックを楽しむこともあった。
 リッツィは、フェリーニの幻想の世界を地で行くような、若いイタリア人ジゴロのグループの中心人物だった。他に、最高のプレイボーイだったポルフィリオ・ルビロサが最後に愛した女性として知られる、オディール・ロダンと交際していたベッペ・ピロッディや、王子と呼ばれたフランコ・ラペッティ、ロドルフォ・パリージもその一員である。彼らは「レジタリアン」と呼ばれた。地理的には間違いないが、ひねりに欠けるネーミングだ。
「全員が日焼けしたイケメンのイタリア人プレイボーイ。彼らはカプリ島のシーンを支配していた」と、社交界の名士、ピラー・クレスピ・ロバートはヴァニティ・フェア誌のインタビューに答えている。
「みんなストレートで、常に美人のアメリカ人のガールフレンドを連れていた。レザーパンツを穿いて、シャツの胸元からチェーンを覗かせてね」
 彼らの恋愛の戦術についてはリッツィ自らが解説しているが、それはまるでゲバラのゲリラ戦のハンドブックの一節のようだ。「僕らは億万長者に勝たなければならなかった」と彼は言う。
「あるのは自分の顔だけ。だからこそ余計に燃えた。嫌な奴らだったろうね」

14歳で現るプレイボーイの片鱗

「1968年、フランス人学生が国旗を燃やし大学を占拠していた頃、僕らは同調性に対抗すべく、僕らなりに戦っていた」と、リッツィは自叙伝『Io, BB e l’altro’68(原題)』に記している。シャンパンとキャビアに囲まれた華やかな生活は、生まれながら手にしていたものではなさそうだ。
 彼は1944年、連合国の空襲が激しさを増すなか、4人兄弟の3番目としてピアチェンツァで生まれた。父親はレンガ製造業を営んでいた。若き日のジジ・リッツィはすぐに、いわゆるブルジョアのしきたりに背くようになる。まずは14歳のとき、住み込みの家庭教師を口説き落とした。
 1960年代後半には、リッツィは仲間たちとともに、コート・ダジュールの至るところで大きな波を巻き起こしていた。なかでも、お洒落な街として新たに注目されたサントロペは特別だった。彼らは悪漢小説のような冒険を繰り広げていたのだった。「フェラーリもロールスロイスも持っていなかった」と、彼は後に書き残している。
「よく電車で出かけ、金がなくなったらどうにかして家まで帰っていたよ」
「あれは1968年のこと……」と、彼はバルドー70歳の誕生日に手紙を贈っており、その率直で哀愁に満ちた内容がコリエーレ・デラ・セラ紙で2004年に公開された。
「テーブルの上で僕は裸足で踊っていた。いつも勝つことばかり考え、明日への不安などなかった。当時24歳だった僕は、フランスのセレブ仲間の一員になったような気分で、ジョニー・アリディとコアントローを飲んだり、ジルベール・ベコーとサッカーを楽しんだりした。振り返ってみると、どれもサントロペの思い出ばかりだ。特に、君がレジタリアンの功績を称賛してくれたときのことは今でも忘れない」

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1968年頃のバルドーと、いかがわしい雰囲気のジジ・リッツィ。

Gigi Rizzi / ジジ・リッツィ

イタリア・ピアチェンツァ生まれの俳優。ブリジット・バルドーの恋人になったことにより、一躍有名に。代表作は、『La Morte Risale a Ieri Sera(原題)』(1970年)や、『Roma Bene(原題)』(1972 年)。私生活でナタリー・ドロンなど、当時の人気女優やモデルらと浮名を流したこともあり、いずれの作品にもプレイボーイ役として登場。生涯プレイボーイとしてその名を馳せていた。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 17
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