Wednesday, February 7th, 2018

THE ROARING TWENTIES
ベントレー・ボーイズの伝説

英国車史上、最も輝いていた男たち
プレイボーイで、クルマを豪快に乗り回し、毎日飲み騒いでいた特権階級の一団。
ふたつの世界大戦の狭間に自動車レース界を支配し、
イギリス中を虜にしたベントレー・ボーイズの伝説とは?
text andrew hildreth

時代の終わり

 ウォール街の株価が大暴落し、ベントレーの自動車製造は赤字となり、バーナートは会社の売却を余儀なくされる。最後にル・マンで優勝する直前、彼が作ったベントレーが、特急列車「ブルートレイン」とカンヌからロンドンまで競走したことは伝説となっている。バーナートはカンヌのカールトンホテルのバーで飲みながら、ブルートレインがカレーに到着するまでに、自分の車がロンドンにたどり着けるかどうか、賭けをした。
 列車が駅を出発したと聞くと、バーナートはゆっくりと歩いてベントレーに乗り込み、祖国に向けて出発した。雨の降るなか、憲兵隊の目を盗みつつ車を走らせ、なんとかガソリンを手に入れ、タイヤのパンクというピンチも切り抜けた。
 ブルートレインがカレーに到着したとき、バーナートはロンドンのセント・ジェームズのコンサバティブ・クラブで、席に着きアフタヌーンティーを注文しているところだったという。賭けに勝った彼は100ポンドを手に入れる。フランス当局から請求された罰金は、この金額をはるかに超えるものだったが……。この勝利の記念として、バーナートはヴァン クリーフ&アーペルに、エメラルド、ダイヤモンド、サファイヤがあしらわれたプラチナのケースを特注で作らせた。
 引退後の彼はサリー州のエングフィールドグリーンで暮らした。彼はホワイトハウスという名のパブへよく飲みに出かけ、そこで自身の武勇伝やクルマの話をして地元の人たちを楽しませていたという。バーナートは、癌の手術後の血栓症が原因で死去した。
 バーキンは、ベントレーの身売り後、他社のクルマに乗り換えてレースを続けた。プロトタイプ車をフルスロットルで加速し、トレードマークのスカーフを風になびかせながら、ぎりぎりのところでコース上に留まり、観衆を沸かせていたという。しかし1933年のトリポリ・グランプリでひどい火傷を負い、敗血症を発症して命を落とした。
 ベントレー・ボーイズたちは、まさに「フルスロットル」でクルマを運転し、人生を駆け抜けていったのだ。

1927年のル・マン優勝時、ザ・サヴォイでの祝勝会の主賓となった歴戦の勇者、ベントレーのNo.7。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 20
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