September 2016

THE PARTHENON OF PUNK

パンクの聖地、CBGBの伝説

それは騒音の巣、悪党の隠れ家、そして1970年代のポップカルチャーの震源地。
ブロンディ、トーキング・ヘッズ、ラモーンズらのスターを生んだ
ニューヨークのライブハウス、CBGBの伝説を語っていこう。
text charlie thomas
issue10

CBGBの外の群衆(1970年頃)
EVERETT/REX/SHUTTERSTOCK

Patrons answering nature’s beer-amplied call would wade through raw sewage laced with
beer bottle shards to get to the rust-streaked, ink-daubed porcelain basins that acted as
receptacles to human waste only in a nominal sense.

ビールに駆り立てられて生理的欲求をもよおした客は、瓶の破片が散らばる下水路を避けつつ、糞尿を受け止めるだけにある、錆びて汚れのこびりついたポーセリン製の便器にたどり着かなくてはならなかった

 ポピュラー・ミュージックの歴史を見ると、ひと握りのごく小さな場所から、大きな流れが生まれてくるということがわかる。ミシシッピーの一農場であったドッキー・プランテーションがいい例だ。そこの下宿屋では、20世紀前半、ウィリー・ブラウン、トミー・ジョンソン、“サン・ハウス”ことエディ・ハウスたちが、移民たちが持ち込んだギターを片手に、ロックンロールの基盤を形成する大きなムーヴメント、デルタブルースを、いち早く奏ではじめたのだ。そこはブルース・ファンにとっての聖地である。

 そしてもし、あなたのお気に入りのサブカルチャーが、70年代のアメリカン・パンクロックだとしたら、あなたの絶対的聖地は、マンハッタンのバワリー通り315番地に位置した、セメント床の地下室となるだろう。そこは2006年にその扉を閉めるまで、悪名高く、しかし同時に激しく愛されていたクラブ、CBGBがあった場所だ。

 小さな台形のステージは、パンクのゴッドマザーであるパティ・スミスが自分を爆発させた場所だ。そこで彼女は小説家ウィリアム・バロウズを含む観客たちに、破滅的なパフォーマンスを演じてみせた。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 10
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