Wednesday, February 7th, 2018

THE LIFE TEUTONIC
ゲルマンの遊び人たち

わずか15歳の花嫁

「キング・オブ・クラブ」という愛称で呼ばれるようになったアルフォンソは、マルベーリャを世界のジェットセッターの聖地にするだけでは飽き足らず、ペルシャ湾やバハマ、フィリピン、メキシコ、マイアミにもラグジュアリーなリゾートをゼロから建設した。
 もっとも、彼がこのように大胆な起業家精神を発揮したのは高級リゾートの分野だけではない。メキシコ在住時には、フォルクスワーゲンの独占販売権を獲得。世界中でビートルの信頼性を揶揄する輩を黙らせるために、1954年のカレラ・パナメリカーナ・レースに6台も出場させたのだ(6台すべてが2,000マイルのコースを完走)。さらにスペイン(当時はスウェーデンとほとんど通商関係がなかった)でボルボも売り出した。
 いうまでもないが、チャーミングで教養があり、人脈が豊富でとてつもなく裕福なアルフォンソの人生は、華やかで複雑な恋模様に彩られていた。マルベーリャ・クラブをオープンした翌年には、カール大帝の末裔であり、フィアット創業家に連なる女相続人でもあるプリンセス・イーラ・フォン・フュルシュテンベルグと結婚。この結婚にマスコミが騒いだのは、16日間にわたる華やかなパーティが催されて400人ものヨーロッパの王族が飾り立てたゴンドラでやってきただけでなく、花嫁がわずか15歳だったからだ。
 この結婚が5年で終わりを告げた後、ジョスリン・レーンとの12年間の結婚生活、そしてエヴァ・ガードナーやキム・ノヴァクとの短いロマンスを経て、彼は3人目の妻とともにマラガの田舎にある静かな邸宅で隠遁生活を送った。
 マス釣りを楽しみ、ボルドーのブドウから評判の良いワインを造り、グルメなレストランを経営しながら余生を送ったアルフォンソは、2003年に79歳で前立腺がんのために亡くなった。「いつも理想の街を探し求めていたが、ついにロンダでそれを見つけた」と語っていた穏やかな晩年には、どんちゃん騒ぎやラリー、狩猟やスポーツはやめてしまい、瞑想を好んだという。「城にも、ベネチアの宮殿にも、世界最高のホテルにも住んだことがある」というコメントも、彼が言うとあっぱれで自慢に聞こえない。アルフォンソが優れたものの持ち味がわかる男であったことは間違いない。単なる“プレイボーイ”ではなかったのである。

理想は腹上死

 プレイボーイの好例といえば、冷戦時代の西ベルリンで夜の世界を牛耳ったナイトクラブの帝王、ロルフ・エデンだろう。いまや86歳になった「熟年の女たらし」(マスコミに付けられたあだ名)は、自らの遺言書に「もし腹上死したら、相手の女性には33万ドル超を支払う」と記したことを公表。ちなみに、7人の女性にひとりずつ子供を産ませている。
 デイリーメール紙から「いつも日焼けしているヒップスター」と呼ばれるロルフ・エデンだが、その興味深い生い立ちが最近明らかになった。子供の頃にナチス・ドイツから亡命した彼は、イツハク・ラビンのもとで1948 年の第一次中東戦争に参戦したそうだ。
 これほど想像をかき立てるエピソードにもかかわらず、地元のマスコミからは「最も厄介なベルリンっ子」という栄誉ある称号を贈られている。77歳だからといってセックスを断った19歳の女性を年齢差別で訴えたことが、理由のひとつかもしれない。

ミス・ベルリンを抱き抱えるロルフ・エデン(1978年)

THE RAKE JAPAN EDITION issue 12
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