Wednesday, February 7th, 2018

THE LIFE TEUTONIC
ゲルマンの遊び人たち

ブリジット・バルドーの元夫ギュンター・ザックスに、マルベーリャ・クラブを創設した
プリンス・アルフォンソ、そしてナイトクラブの帝王 ロルフ・エデン。
面白いことに数多くの遊び人はドイツの血を引いている。彼らの共通点、そして生き様とは。
text nick scott

「人間生来の遊ぶ力は、規律や野心、そして常識といった単調な日々の要件とのバランスを取るために欠かせない」
 オランダの文化史家ヨハン・ホイジンガは、1938年に出版した著作『ホモ・ルーデンス』にこう記している。これは哲学の規範に挑んだ人間味あふれる著作であるが、歴史上で最も典型的なプレイボーイのひとりであるギュンター・ザックスのほうが、ホイジンガよりも禁欲的な生活を送っていたといえるかもしれない。
 ホイジンガの研究(に加えて数学や経済学、言語学、占星術、アート、写真、そして専門分野である最強の快楽主義)を学んだザックスは、究極の「ホモ・ルーデンス」(=遊ぶヒト)を自認していたが、これには異論もあった。なんといっても、ブリジット・バルドー(ふたり目の妻)に出会うとすぐ、サントロペにある彼女のビーチハウスにヘリコプターから赤い花びらを降らせ、自分もヘリから海に飛び込んで、自分が来たぞと知らせるような男である。これほど大胆な口説き方に比べれば、後にペットとしてチーターを買い与えたことなんてかわいいものだ。

とびきりリッチな快楽主義者

 こうしたロマンティックないたずらはもちろん、ヨットや飛行機、サントロペのヴィラ、シャンパンのマグナムボトル、そして、モンテカルロのカジノで悪友のポルフィリオ・ルビロサやプリンス・アリ・カーンと繰り広げるどんちゃん騒ぎに費やせるだけの金がザックスにあったのは、母方の曽祖父がアダム・オペル(オペルの創業者)、父親がウィリー・ザックス(大手自動車部品メーカーの経営者)という富豪一族の出であったからだ。
 もっとも、その潤沢な富だけで、華麗なプレイボーイぶりを発揮できたわけではない。ザックスには生へのあくなき欲望があった。これを失うことを恐れた彼は、2011年5月、スイスのグシュタードにあるヴィラで自ら命を絶ったほどだ。
 ギュンター・ザックスの人生を語るのに“充実していた”という表現では控えめすぎる。ブリジット・バルドーはもとより、イランのソラヤー・エスファンディヤーリー元王妃や、アリストテレス・オナシスの元妻ティナとも浮名を流した。
 富裕な快楽主義者の中でもとびきりリッチで、戦後に一世を風靡したゲルマンの遊び人は彼だけではない。同じくドイツ人のプリンス・アルフォンソ(Issue11,P156参照)も大物のひとりだ。

24エーカーの荒地をリゾートに

 アルフォンソの父方はヴュルテンベルクの王族で、母方の曽祖父はメキシコで財を成したバスクの冒険家だった。だが彼の実家の富は、莫大な資産を置いていたドイツやチェコスロバキアの裏側に引かれた鉄のカーテンやメキシコ革命のせいで目減りしてしまったのだ。一家の富を補充するための物件探しを任されていたアルフォンソは、1947年にスペインのアンダルシア地方の、のどかな海辺の美しさに魅せられる。そこで彼は、いくつかのワインセラーを売って資金をつくり、フィロキセラに冒された広大なブドウ畑を15万ペセタで購入したのである。
 所有する土地を1954年にロートシルトに売却し、近くにある24エーカーの農場を自らの邸宅とマルベーリャ・クラブに変貌させたアルフォンソは、10年足らずでこのエリアをビアリッツやサントロペ、カプリ並みのリゾートに育て上げ、グレース・ケリーやオードリー・ヘプバーン、ケーリー・グラント、といったセレブリティを常連にした。
 サミー・デイヴィスJr.がここでライブを行った際のピアニストは、56人の王の血を引くスペイン貴族だったという。その後の10年間も、アルフォンソが同クラブで催したソワレには、ウィンザー公をはじめ、さまざまなハリウッドスターやアラブのシャイフなどが顔を揃えた。

ジェットセット時代を象徴するブリジット・バルドーとギュンター・ザックス(1960年代頃)

結婚式当日のプリンセス・イーラ・フォン・フュルシュテンベルグとプリンス・アルフォンソ(1955年)

THE RAKE JAPAN EDITION issue 12
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