Wednesday, May 24th, 2017

THE DUKE OF BEVERLY HILLS
ビバリーヒルズの公爵

ビバリーヒルズの公爵
アドルフ・マンジューは、無声映画から発声映画へうまく移行した数少ないハリウッドスターのひとりだった。
知識人であったことはもとより、彼の名を何よりも知らしめたのは、その粋な装いだった。
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チャップリンを口説くために

 必然的に、マンジューはハリウッドの大物たちから熱い眼差しを向けられるようになった。名プロデューサーのデイヴィッド・O・セルズニックも、「ハリウッドの誰よりも着こなしがうまいから採用したい」という不朽の口説き文句を使い、彼をオーディションに呼び寄せた。しかし、マンジューにとってさらに魅力的だったのは、チャーリー・チャップリン制作の映画『巴里の女性』(1923年)に出演し、プレイボーイで美食家のフランス人、ピエール・ルヴェルの役を務めることだった。
 どうしてもこの役を演じたかった彼は、白い蝶ネクタイと燕尾服、フォーマルなモーニングコート、白いフランネルのズボン、狩猟用のツイード服とチロリアンハットなど、裕福なパリジャンが着そうなものは何でも身に着けて、チャップリンがよく行くレストランを訪れ、気づいてもらえることを期待しつつ昼食を取った。チャップリンは、彼の服装に対するこの並々ならぬ熱意に圧倒されたらしく、降参した。こうして8カ月に及ぶ撮影に参加することになったマンジューは、チャップリン監督の几帳面さに感銘を受けたが、その身なりには眉をひそめた。
 「チャップリンの持っている服は嘆かわしかった。自分の服や着こなしについて、彼は何の流儀も持っていなかったのだ。テーラーは誰ですか、と私が尋ねてみたところ、恐ろしいことに彼はテーラーが大嫌いで、オーダーメードのスーツを持ったことがないと明かした」
 巴里の女性』への出演にあたり、マンジューは、まだ一度も着ていなかった250ドルのケープを下ろしただけでなく、結局撮影されなかった競馬場のシーン用に、グレイのモーニングコートを誂えた。
 自伝『It Took Nine Tailors』でも、彼は書名にある“9”軒どころか13軒に近いビスポークハウスを、行きつけの店として誇らしげに列挙している。例えば、アンダーソン&シェパード、カラチェニ、ポープ&ブラッドリー、ヘンリー・プール&Coに加え、半ズボンと乗馬服ならサンドン、ベルリンのクニーシェ、ツイード地の服ならスコットランドのP. & J. ハガートといった具合だ。
 だが、最も頼りにしていたのは、ロサンゼルスを拠点とするテーラー、エディー・シュミットだった。シュミットのもとを初めて訪れたマンジューは、白いカーネーションと白いスパッツを身に着けた彼の装いにいたく感動し、即座に6着のスーツを注文した。彼はシュミットとともに、紳士服の仕立てにちょっとした革新をもたらしたと主張している。
 ジャケットの裏地からバックラムを取り除くことで、胸部の上に緩やかなドレープができるようにした。また、ダブルジャケットの一番上のボタンも、間隔を広げて肩のラインが広がるようした」
 こうしたディテールへのこだわりを通じ、マンジューはハリウッドきっての洒落者として日増しに有名になった。

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キャスリン・カーヴァーとともに(1928 年)

THE RAKE JAPAN EDITION issue 16
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