Monday, October 23rd, 2017

The Bold and the Beautiful
魔性の女、列伝

カネや権力に惹かれる女性が、美しさやセックスに惹かれる男性より浅はかだなんて、言えるだろうか?
自らの持てる武器すべてを使って運命を切り拓いていった女たち。
彼女たちは男勝りの度胸と強烈な個性を備えていた。
text james medd

もうひとりのスターモデル

 その頃、新たなティッセン男爵夫人の座についていたのは、ニナと共通点の多い女性だった。フィオナ・キャンベル=ウォルターもイギリス領の出身である。彼女は、1932年にニュージーランドのオークランドで、スコットランド生まれの英国海軍准将の娘として生まれた。
 フィオナもまたスターモデルで、セシル・ビートンやデヴィッド・ベイリーをはじめとする有名フォトグラファーや、スキャパレッリ、ランバン、ディオール、ヴァレンティノといった一流メゾンのお気に入りだった。
 彼女が離婚したばかりのティッセンと出会ったのは、サン・モリッツのゲレンデだ。
 フィオナは後に語っている。「彼は本当にステキだった。背中に大きなワシが描かれたシャツを着て、グローブもはめずにタバコを吸いながら、猛スピードで滑ってきたの。信じられないほど魅力的だった」
 しばらくは独身生活を楽しもうと思っていたティッセンも彼女の虜になり、2人は初対面から12時間後に結婚した。
 2人は数年にわたって、ルガーノ湖の上にあるクラシカルなヨーロピアンスタイルの壮麗なヴィラに住んでいたが、このヴィラにはドガやゴヤ、ピカソ、モンドリアンの作品をはじめとするティッセンの膨大なアートコレクションも収蔵されていた。フィオナは男爵を愛し、あるレポーターにこう語っていた。
「私たちはお互いに関心があるから、隠し事は一切ないの。誤解なんてありえないわ」
 悲しいことに、男爵は同意見ではなかったらしく、1965年に2人は離婚した。理由を尋ねられた男爵は、刺激のない生活にうんざりした様子で「僕に求められたいなら、もっと他の男の気を引くべきだったんだ」と答えたそうだ。
 彼女は2人の子供を連れ、42万ポンドの和解金を持ってロンドンへ引っ越し、すぐにヨーロッパ有数の相続人と出会った。今回の相手はアリストテレス・オナシスの息子、アレクサンドロスで16歳も年下だった。
 フィオナは4年間も関係を拒んでいたが、彼が20歳になると陥落し、2人の関係は、海運王とその一族から大反対を受けることになる。後に彼女は「オナシスは、私が彼の息子を“手なづける”のではないかと心配していた」と語っている。
 当時の海運王にとって、若い女性の魅力は大歓迎だが、男性の権威に勝るものでは決してなかった。年上の女性は有り得なかったのだ。オナシス自身の結
婚では、最初の妻も、2番目の妻となったジャクリーン・ケネディも、20歳以上年下だった。
 フィオナは恋人の財産に興味がないと公言していたし、アレクサンドロス自身の給料で買ったプレゼントしか受け取らなかった。しかし、その誤解が解ける前に、アレクサンドロスは1973年に飛行機事故で、突然死んでしまった。
 その後フィオナも、ニナ・ダイアーと同じように、動物愛護に力を注いだという。

フィアンセのサドルディン・アガ・カーンとその母親とともに(1957 年)

THE RAKE JAPAN EDITION issue 18
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