September 2015

Sex, Drugs and Moroccan Roll

背徳の街に集ったセレブリティたち

ソドムとゴモラに始まり、バビロンなどに代表される悪徳の街。人類の歴史には、
快楽主義的な人間のたまり場が数多く見られる。1960年代、ジェットセッターや
セレブリティたちが集っていたモロッコも、そんな場所の一つだった。
by nick foulkes

ジョン・ポール・ゲッティ・ジュニアと妻のタリサ。1970年、マラケシュの別荘のテラスにて。パトリック・リッチフィールド撮影。

「警察から逃げている人、もしくは単に何かから逃げたいだけという人も、ぜひこの土地へ来るべきだ。丘に囲まれ、海に面したここは、1 年のうち8カ月は素晴らしい気候に恵まれている。ここはまるで、アフリカ沿岸に掛けられた白いケープのようだ」

 1950年、若き日のトルーマン・カポーティは、タンジールについて興奮気味にこう書いている。

「ここに来る前にしておくべきことが3つある。それは、腸チフスの予防接種を受けること。銀行から預金を引き出すこと。そして友人に別れを告げることだ。きっと、二度と会えないだろうから。これは真面目な忠告である。短い休暇でここを訪れ、そのまま住み着いてしまい、何年も過ごすという者は驚くほど多い。なぜならここは、時間を超越した場所だからだ。滝の水流がごとく、日々が過ぎ去っていくのだ」

官能主義者のたまり場 かつて、北アフリカの地中海沿岸の魅惑的な暮らしが、人々の想像力をかき立てた時代がある。マグレブ地域は、アラブの春やアマングループの進出よりもずっと前に、セレブリティたちの間では、人気のリゾート地となっていた。

 当時の北アフリカは、まだヨーロッパの支配下に置かれていた。アルジェリアはフランスの海外県で、1962年に独立を果たすまで、植民地支配者に対抗する戦いが続いていた。一方、チュニジアとモロッコは共に、50年代半ばまでフランスの保護領だった。

 しかし、それらは同時にアフリカでもあった。その地のモラルは、少なくともヨーロッパやアメリカからの移住者にとっては、ないに等しいほど緩やかだった。かつて、アメリカ人が自分の楽しみを満喫するためにキューバを訪れていたように、北ヨーロッパの人々は、緩いモラルと過ごしやすい気候を求めてタンジールを目指した。 あらゆる悪行がはびこる、にぎやかな歓楽街のような場所だ。戦時中に国際管理地域に指定され、それが1 9 5 6年まで続いたことが、この街の魅力を高める一因となった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 05
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