February 2018

REEL BRITANNIA

ハリウッドを占拠した英国人俳優

text james medd

アリ・マッグロー、デヴィッド・フロストとデヴィッド・ニーヴン(1971年)

ハリウッド・ヒルズの植民地化 実際、ハリウッドがイギリスに入れ込み過ぎたため、アメリカはその状況に不安を抱き始めた。アメリカの雑誌『ザ・アトランティック』に「アメリカ人俳優の減少」というタイトルの記事が掲載され、その中で評論家のテレンス・ラファティは「恥ずかしいことだ」と述べている。

 しかしこれは今に始まったことでない。ハリウッドは昔からイギリスをこよなく愛してきたのだ。映画の誕生から1世紀が経った頃に発表された研究によると、無言劇のスタン・ローレル(カンブリア・ウルヴァーストン出身)をはじめ、南ロンドン出身のチャーリー・チャップリンなど、イギリス人俳優は常に存在していた。既に1920年頃から、多くのイギリス人俳優がハリウッド・ヒルズを事実上植民地化していたのである。

 このような状況になったひとつの理由としては、発声映画が始まった頃の映画会社のほとんどが中央ヨーロッパ出身であったからだろう。彼らは、無声映画にでさえ物怖じしていたアメリカ人俳優たちが、発声映画でうまく台詞を話せるとは考えていなかったのだ。そこで彼らはイギリスに目を向け、地方の劇場で下降気味だった二流の者も含む多くのイギリス人俳優が新しい映画の世界で再スタートを切れるよう、アメリカに招いたのである。

 これに加えて、渡米するイギリス人俳優のほとんどが第一次世界大戦に参戦したあと、ヨーロッパの戦地から帰国していたことも、その理由のひとつだろう。帝国の時代がすっかり定着してしまっていた終戦後のイギリスでは、演劇というものが、より繊細で、より心理に訴えかけるものに変わってしまっていた。しかし、そこまでの演技力がなかった彼らにとって、アメリカという未開の土地と、勢いのある映画という新たな領域のハリウッドは、最高の逃げ場となったのである。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 09
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