Monday, April 16th, 2018

‘LOOK AT THE WHO! THEY USED EXPLOSIVES! HOW DID WE GET THE REP?’
レッド・ツェッペリンが残した
クレイジーすぎる伝説の数々

伝説のロックバンド、レッド・ツェッペリン。
彼らは、類い稀な才能と戦略によって音楽史上に燦然と輝く成功を収めた。
しかしそれだけではなく、真実か単なる噂だったのか、わからないような
あまりにもぶっ飛んだ逸話をたくさん残している。
text josh sims

 サメ事件をご存じだろうか。それは死んだサメだったのか、生きたタコだったのか。レッド・スナッパーだったという説もある。いずれにしてもそれは、裸にして縄で縛ったグルーピー(=ときに肉体関係までをも望む熱狂的なファン)を喜ばせるためのものではない。詳細についてはここでは伏せておくが、ネットで検索してみてほしい。レッド・ツェッペリンにはこの事件の他にも数多くのエピソードが残されている。
 スーツケースにいつも鞭を忍ばせていたというギタリストのジミー・ペイジは、ホテルの一室で裸のままルームサービスのワゴンの上に横たわり、生クリームまみれの姿で女の子たちを喜ばせたこともあった。またあるときは、ホテルの窓からテレビを投げ捨てるなどして部屋をボロボロにし、チェックアウトの際にキャッシュで弁償した。ホテルの支配人でさえ彼らの自由さを羨み、勧められるがままに破壊行為に参加したこともあったという。

止まない称賛と酷評

 デビューから半世紀経とうとする今となっては、レッド・ツェッペリンを称賛するのも非難するのも簡単だ。アルバムの売り上げはザ・ビートルズに次いで第2位という、音楽史上に残るセールスを誇るバンドのひとつである一方、映画『スパイナル・タップ』のモデルとなったように、時代遅れのロックバンドの典型として見られることもある。細身の身体に胸元をはだけベルボトムを穿き、数々の奇行を起こす。ベガス風の内装のプライベートジェットを所有したり、コカインの分配を管理するためだけに人を雇ったり、長々続く手ぬるいソロの間にバンドメンバーはステージを離れ、グルーピーと寝て、曲が終わるまでに戻ってくる。そんな古臭いロックバンドの典型的なイメージは、レッド・ツェッペリンがつくり上げたといっても過言ではない。
「バンドがしてきた多くのこと、そして彼らの周りの人間がしてきたことは、かつてないものだった」と語ってくれたのは、全盛期にツアーマネージャーを務めたリチャード・コールだ。
「何もかも思うままにやっていたんだ。今みたいにアーティストの青写真などない時代。宝くじの当選者にありがちな症状に近いと思う。単なる若者が突然世界の頂点に立ったんだからね」
 レッド・ツェッペリンは自身のペニスの石膏型を作らせたとか、その型を壊す前にティーンエイジャーにフェラチオさせたという噂もある。そんなことをしながらも、音楽を知っている人にも知らない人にも、彼らはポップカルチャーのひとつの基準点となってゆく。映画『ウェインズ・ワールド』でのギターショップのワンシーンにも「『天国への階段』試奏禁止」の張り紙があるほどだ。
 しかし、ビートルズがずっと支持され続けたのに対し、レッド・ツェッペリンは無知な人たちからの評価で苦戦してきた。活動期間中はほぼずっと、とりわけイギリスの音楽メディアから敬遠されていた。またローリングストーン誌からは、バンド名を「リンプ・ブリンプ(空気の抜けた飛行船)」にするべきだと酷評された。ドラマーのジョン・ボーナムは、ベストドラマーの投票でカレン・カーペンターより下位にランクインしたこともある。
 そんなレッド・ツェッペリンの解散は、あまりにも突然だった。1980年、ジョン・ボーナムは12時間超のパーティーでカレーとピザ2枚を食べ、ウオッカのショットを40杯飲んだ後、睡眠中に吐瀉物を詰まらせて窒息死したのだ。この不慮の事故でドラマーを失ったことにより、レッド・ツェッペリンは同年12月に解散の声明を発表した。

Led Zeppelinレッド・ツェッペリン
1968年に結成。デビュー以降、メディア露出はほとんどなく、コンサートツアーによって着実に人気を獲得する。発表するアルバムごとに大ヒットを記録し、70年代を代表するロックバンドへと成長した。1980 年、ジョン・ボーナムの急死を受け解散となった。

ハワイのホノルルでレイをかけてもらうメンバーたち。左から、ドラムのジョン・ボーナム、ボーカルのロバート・プラント、ベース兼キーボードのジョン・ポール・ジョーンズ、ギターのジミー・ペイジ。1969 年。

表現力豊かでどこか謎めいていたボーカル、ロバート・プラント。1972年。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 20
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