July 2015

LA BELLE ET LABÊTE

セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの物語
フランス一純粋で、淫靡だった2人

by joycelyn shu

履いている靴はレペットのジジだ(1971年)。

ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ ジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンズブールの関係は、当初から物議を醸し続けた。歌手、作詞家、作曲家、ピアニスト、画家、映画監督、作家、ギャンブラー、敏腕音楽プロデューサー、大酒飲み、詩人、女たらし、俳優、厭世家、問題児、現代のボードレール、20世紀のランボー、遊び人、フランスの宝……。

 これほど多くの顔を持つゲンズブールの人生を、簡潔に要約する方法はない。また、死から20年以上経った現在でも、彼の残した多くの作品が強い影響力を保っている理由も、一言では言い表せない。実際に、ポーティスヘッド、ベック、マドンナ、ソニック・ユース、エール、ジョン・ゾーンといったアーティストたちが、ゲンズブールに大きな影響を受けたことを明言している。

 ポップカルチャー界における彼とバーキンの地位は、名曲『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』で不動のものとなった。当時、このデュエット曲は大きな物議を巻き起こした。

 この歌はもともと、ゲンズブールが銀幕の美女、ブリジット・バルドーと一緒に録音したものだった。録音時、2人目の妻と離婚していたゲンズブールは、バルドーと不倫関係にあった。そのバルドーの夫、ギュンター・ザックスは、プレイボーイとして知られたドイツ人の大富豪で、自動車メーカーオペルの創業者一族の出身だった。

 露骨に性的な歌詞、女性の恍惚とした喘ぎ声を特徴とする同曲をリリースすれば、夫を激怒させてしまうと考えたバルドーは、リリースをやめるようゲンズブールに懇願した。ゲンズブールはこれに渋々同意し、1969年にバーキンとともに同曲を再録音したのである。

 ゲンズブールとバーキンが完成させた官能的なレコードは、大胆なエロチシズムを理由に教皇庁から非難され、BBCから放送禁止を宣告された。しかしそのおかげで、英国のヒットチャートのトップに躍り出ることになった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 02
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