Monday, November 26th, 2018

GREEK TRAGEDY
悲劇の歌姫、マリア・カラス

激しいライバル意識、傷心、体調不良――。マリア・カラスは自らの人生を破滅させたが、
生命力あふれる素晴らしいパフォーマンスは、アーティストの遺産として揺るぎないものとなった。
偉大な音楽家レナード・バーンスタインも、この歌姫を「オペラのバイブル」と評しているほどである。
text stuart husband

 ギリシャという国はいつの時代も私たちにさまざまな贈り物をもたらしてきた。民主主義、オリンピックの理想、ユーロ危機を招きかねない莫大な国債――そして、プリマドンナらしく華やかでエキセントリックなマリア・カラス。*ベルカント唱法で知られるこの美しいソプラノ歌手は、どの役もそれが自らの最期であるかのようにいきいきと演じていた。これほどの大物には“ディーヴァ”という称号では物足りないとして、彼女はギリシャ神話を思わせる“ラ・ディヴィーナ(女神)”と呼ばれた。
 カラスは、自らが歌い演じたロッシーニやプッチーニのヒロイン以上に波瀾万丈な人生を送った。悲惨な幼少期を過ごし、彗星のごとくデビューして輝かしい栄光を手にしたものの、その歌声は徐々に衰えを見せるようになる。そして、共演者やマネージャー、億万長者の海運王と嵐のような恋愛模様を繰り広げた。死後40年以上経った今も、語り継がれる存在である。「ほとんど人知を超えた才能に恵まれ、呪われていた」と語ったのは、彼女の友人の音楽評論家、ジョン・アードイン。カラス自身はもっと辛辣な言い方をしている。「私にルールの話はしないで。どこにいても自分でルールを決めるから」。

一気にスターダムに上り詰めた天才

 彼女は1923年にニューヨークで3人兄弟の末っ子として生まれた。ギリシャ系移民の両親の結婚が破綻し、母親が子供たちを連れて母国に戻ったのはカラスが14歳のとき。彼女はワシ鼻や大きな口を持つ存在感のある顔立ちで、やや太り気味で不器用、近視であった。野心家の母親は、彼女にほとんど目もくれなかったが、非凡な声の持ち主であることに気づくと、食料や不足する物資と引き換えにイタリアやギリシャの兵士の前で歌わせるようになった。
 その後、カラスはアテネ音楽院を卒業するとギリシャ国立オペラ座に出演。不屈の精神、力強いテクニック、無敵の演技力で批評家を驚かせ、天才と賞賛された。ライバルには舞台袖からやじられるほどであった。1950年代に入ると、フランコ・ゼフィレッリやルキノ・ヴィスコンティといった映画監督(後年、カラスのためだけにオペラの監督を始めたと語っている)が手がけた作品や、『王女メディア』、『ノルマ』、『椿姫』のヴィオレッタといった役を演じて全世界で大成功を収めたが、これは彼女の独特の表現スタイルによるところが大きかった。従来のベルカント歌手は、舞台の中央に立って行儀よく歌うのに対して、彼女はまるでボクサーのようにそれぞれの役にのめり込み、ドラマティックに演じきったのである。あるインタビューで彼女は語った。「音楽が演じ方を教えてくれる、すべては楽譜の中にあるから、よく聴いて、よく考えればいい」。
 カラスは、1956年に『タイム』誌の表紙を飾ったが、彼女が起こす周囲との軋轢は、それまでオペラを高尚な芸術だと見なしていた一般大衆にも注目された。突然契約を破棄したり、かんしゃくを起こして公演をすっぽかしたり、パートナーをクビにするといった私生活やスキャンダルを取り上げたタブロイド紙は、スカラ座やメトロポリタン歌劇場で披露した斬新なパフォーマンスと同じくらいに人気を集めたのだった。解雇されたマネージャーからの告訴状を渡した男性を怒鳴りつける彼女を撮った50年代半ばの写真は世界中に出回り、ヒステリックなイメージが定着した。

Maria Callasマリア・カラス
1923年、ギリシャ系移民の両親のもとに生まれる。アテネ音楽院で学んだ後、41年にソプラノ歌手としてデビュー。卓越した歌唱力とドラマティックな演技、その美貌で、瞬く間に全世界に知られる存在となる。49年にジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニと結婚するが、やがてアリストテレス・オナシスと不倫関係になるなど、恋愛模様も話題に。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 25
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