April 2018

Gottcha

最後のドン、ジョン・ゴッティ

text james medd

 ヘアスタイルにも手は抜かない。毎日、シルバーの髪を80年代風のふんわりした髪型に整えるため、事務所に理髪店の椅子を置いていた。カット、シャンプー、ブローをしながらマニキュアを施してもらうと、子分がアイロンを掛けたばかりのスーツに着替える。彼はこうしたスタイルを部下にも求めた。“カッコいい”というだけの理由で、4人のヒットマンにお揃いのトレンチコートを着せ、毛皮の帽子をかぶらせて送り出したこともある。

 ライフスタイルもまた豪勢だった。運転手のローテーションを組んで、メルセデスやリンカーンで送り迎えさせた。ブルックリンに大型の高速ボートも持っていた。タオルミーナやSPQRといったマンハッタンの一流レストランの常連で、いつも子分を従えて出かけた。彼はレジーヌズ(有名なナイトクラブ)で金をばらまき、ピアニストがお気に入りの曲『愛は翼に乗って』を演奏したときは、特に気前が良かった。

 ニューヨークのドンという伝説的なイメージを印象づけるために、クイーンズで街ぐるみの慈善パーティを企画し、出身地ブルックリンの病院にも惜しみなく寄付した。その見返りとして、自らの名を入れた額をロビーに飾らせたのは言うまでもない。「世間の評判が気になりますか?」と聞かれたゴッティは、「いやいや、みんな私のファンなんだ。私のことが大好きなのさ」と答えたという。

 ロビン・フッドのように民衆から愛されているという彼の認識は、あながち間違いではなかった。恐喝の容疑で起訴されたゴッティが無罪放免になったときは、地元の人々が自宅周辺の木々に黄色いリボンを結んで歓迎してくれたのだ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 19
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