Friday, December 22nd, 2017

BRIGHT LIGHTS, B.I.G. CITY
24歳で散った“ビギー”

ノトーリアス・B.I.G.の名で知られるラッパー、クリストファー・ウォレスが射殺されてから20年。
彼の作品は批評家たちに絶賛されたが、本人は高尚な芸術的野心など抱いてはなく、
商業的、物質的な成功がすべてだった。
text benedict browne

抗争に巻き込まれたビギー

 ビギーは家庭内でのみ危ない橋を渡っていたわけではない。このとき、東海岸系と西海岸系のラッパーの間で激しい確執が生じていた。特に目立ったのは、ビギーとかつての仲間、トゥパック・シャクール(2パック)との確執や、所属するレコードレーベル間の争いであった。ビギーはNYに本社を構えるパフィ・コムズのバッド・ボーイに、トゥパックはギャングと繋がりのあるシュグ・ナイト率いるLAのデス・ロウに所属していた。96年9月、トゥパックはラスベガスで走行中の車から撃たれて死亡した(事件は未解決)。すると、トゥパックを狙った襲撃の指示を、コムズやビギーと結び付けようとする陰謀説が囁かれるようになった。コムズは殺害への関与を何度も否定している。
 1997年3月、ビギーはソウル・トレイン・ミュージック・アワード後のLAでのパーティからの帰り道にあった。シボレー・インパラに乗り、青いスーツと蝶ネクタイを身に着けたアフリカ系アメリカ人の男が、ビギーの乗るGMCサバーバンの横に停車した。彼は9mm拳銃を取り出してビギーのSUVに向けて発砲した。前腕、大腿部、背中、陰嚢の傷は致命的なものではなかったが、結腸、肺、心臓、肝臓の傷は深刻だった。襲撃されてから1時間も経たずして、ビギーは手術台の上で息を引き取った。24歳だった。あれから20年が過ぎたが、未だ誰も殺人罪に問われていない。
 まるでビギーの運命を予知するかのように、『ライフ・アフター・デス』と題された2枚目にして最後のソロアルバムは、殺害から2週間後に発売された。大ヒット曲『ヒプノタイズ』、『モー・マネー・モー・プロブレムス』、『スカイズ・ザ・リミット』を収録したこのアルバムは、ビルボードチャートの頂点へと、まるで弾丸のように駆け上がった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 19
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