Thursday, November 3rd, 2016

BIRTH OF A LEGEND:
THE ROLEX ‘PAUL NEWMAN’ DAYTONA

伝説の誕生—ロレックスの“ポール・ニューマン”デイトナ
ハリウッドスター、ポール・ニューマンは、いかにして現代のコレクターが垂涎する
ロレックス「デイトナ」の代名詞になったのか。
by wei koh

 ポール・ニューマンのもっとも有名な役は、まるで聖人のような本当の彼自身とは正反対だった。『ハスラー』では、傲慢そのものの“ファスト”エディ・フェルソンを演じ、西部劇の『ハッド』では、ぞくぞくするような冷血漢、ハッド・バノンに扮した。そして、スチュアート・ローゼンバーグが手がけた名作『暴力脱獄』では、アンチヒーローを演じ切り、アメリカ映画界に金字塔を打ち建てた。
 3人は救いがたいダメ人間だが、実生活でのニューマンは、あらゆる分野において優れた人物だった。ジョアン・ウッドワードと半世紀以上連れ添った夫としては、誠実で愛情にあふれていた。
 また、道徳家であり、政治活動家でもあった彼は、ベトナム戦争へのアメリカの関与に真っ向から反対したことにより、リチャード・ニクソンの敵対者リストの19番目に名を連ねたこともあった。
 しかし、世間を何より驚かせたのは、ニューマンの慈善事業だった。彼は母校、オハイオ州ケニオン・カレッジに1,000万米ドルを寄付し、社会貢献団体、コミッティー・エンカレッジング・コーポレート・フィランソロピーを立ち上げた。
 彼の慈善活動は、1982年に共同設立したニューマンズ・オウンが予想外の成功を収めたことで、さらに大きなものとなった。現在までに、ニューマンズ・オウンの利益から、3億米ドル以上がさまざまな慈善団体に寄付されている。
 ニューマンは重い病を抱える子供たちの施設を建てただけでなく、傑作『明日に向って撃て!』に登場するアジトにちなみ、その施設をホール・イン・ザ・ウォール・ギャング・キャンプと命名した。

情熱はレースへ注がれた

 彼はアメリカ屈指の映画スターだったが、その俳優生活を通じて、ジェームズ・ディーンのように怒りを爆発させることもなければ、マーロン・ブランドのように欲望を剥き出しにすることもなかった。また、スティーブ・マックイーンのように他人の妻を奪ったりもしなかった。
 ニューマンは過剰なまでに控え目で、腰が低かったのだ。実際、ニューマンが演技以外でアグレッシブな一面をのぞかせたのは、彼が情熱を傾けたもうひとつの世界、カーレースにおいてのみだった。
 ニューマンがレーサーの道を歩み始めたのは、自身の映画である『レーサー』のために訓練をしていた1969年のことだ。スポーツ・カー・クラブ・オブ・アメリカの1972年のイベントで競技に初参戦した彼は、そのうち耐久レースにも挑戦するようになり、1979年のル・マン24時間レースではポルシェ935を駆って2位入賞、およびクラス優勝を果たした。1980~ 90年代にかけてはダットサンを操り、ボブ・シャープ・レーシングチームのために走り続けた。そして1995年のデイトナ24時間レースでは、参加したクラスにおける最高齢での優勝を成し遂げた。
 一方、60年代のロレックスは、フロリダのデイトナレースの公式タイムキーパーを引き受けることにより、耐久レースと深い関わりを持つようになった。
 当時のロレックスは、すでに3つの素晴らしい看板時計を生み出していた。世界一有名なダイバーズ・ウォッチである“サブマリーナー”、世界初のGMTウォッチである“GMTマスター”、そしてネパールのシェルパ、テンジン・ノルゲイのエベレスト登頂をきっかけにして生まれた“エクスプローラー”だ。ロレックスの信条は、スポーツウォッチ界のすべての分野を制覇することだった。しかし当時のロレックスは、レース等のイベントで正確なタイム計測を可能にするスポーツ・クロノグラフの分野では、他社に後れを取っていた。特にNASAが宇宙時計として、ロレックスのクロノグラフではなく、オメガのスピードマスターを選んだことは、大きな痛手であった。
 しかし、ロレックスが直面していた真の課題は、Ref.3529やRef.6234(通称“ジャン=クロード・キリー”)といった同社の過去のクロノグラフが、マーケットの中で、他のモデルほど輝かしい地位を得られなかったことだった。Ref.6238がジェームズ・ボンドの時計として『女王陛下の007』に登場したことでさえ、ロレックスのクロノグラフの売上にはほとんど貢献しなかった。もっとも、シリーズ史上一番人気のないボンド、ジョージ・レーゼンビーが着用したことも、不振の一因だったのかもしれないが。

Issue07_P109
THE RAKE JAPAN EDITION issue 07
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