INVEST plus

今買える、世界の名画
Vol.01 マルク・シャガール

The Rakish ART ROOM Vol.01

Monday, March 25th, 2019

美術史に名を残す有名画家を学び作品を手に入れることは、

歴史と文化の継承者となることを意味する。

ひとりの画家と作品の魅力にフォーカスするこの連載。

第1回は、日本でも非常に人気の高いマルク・シャガールである。

 

text hiroyasu yamauchi cooperation mizoe art gallery

 

 

La Bastille, etude

(ラ・バスティーユ、習作)

亡命先のアメリカで愛妻ベラを喪いパリに戻ってきて描いた作品『ラ・バスティーユ』の翌年の習作。同じ年に制作された版画のもととなった作品と見られる。赤い牛は故郷ヴィテブスクの象徴であり、その胴体部分にパリのバスティーユ広場を描く。紙に油彩、グワッシュパネルによる裏打ち。51.1×65.8cm 1954年制作、¥150,000,000(税込価格)。ご購入のお問い合わせ:ザ・レイク・ジャパン info@therakejapan.com

 

 

マルク・シャガール

Marc Chagall(1887-1985)

1887 年、帝政ロシア領ヴィテブスク(現ベラルーシ)の敬虔なユダヤ教徒の家庭に生まれる。美術学校で学んだ後パリへ渡り、エコール・ド・パリの代表的な画家となる。人や動物、花束などのテーマを、自身の空想力を生かし、幻想的な絵画表現と美しい色彩で描いた。同郷の妻ベラを一途に愛し、また愛に関連する作品の多さから“愛の画家”とも呼ばれる。ⒸGetty Images

 

 

 

 優美で豊かな色彩。柔らかくて流麗な事物を重ねてつくられる画面構成。ピカソやマティスらとともに20世紀を代表するタブローをものしたマルク・シャガールは、もちろん世界的な巨匠に違いないが、とりわけ日本にファンが多いことで知られる。モネやルノワールによって19世紀後半に展開された印象派の人気の高さと、どこか相通ずるところがある。なぜ印象派やシャガールは、日本人に強い共感をもたらすのだろうか。おそらくはその作品のなかに「儚さ」「切なさ」が色濃くあることに感応しているのだ。

 

 日本では古くから、移りゆくことこそ常態であるという考えが人のあいだに深く浸透している。それは仏教的世界観と、気象条件や自然災害の多さなどの風土的要因から形成されてきた心性なのだろう。世は無常であり、愛でるべきは「もののあはれ」であるという考えが、長きにわたって保たれてきた。流れていってしまうものに束の間、目を留めて、それを慈しむ。そうした姿勢は印象派やシャガールの絵画からも感得できるのである。

 

アトリエで制作に取りかかるシャガール。(1959年)

 

 

 印象派がなそうとしたのは、一瞬の光を捉えて、それを絵画にしてしまおうということだった。それ以前の絵画は、誰もが知る出来事や人物、場所などをテーマに据えて、あたかも目の前にそれらがあるように臨場感溢れるかたちで描けるかどうかに腐心していた。印象派は根本から、絵画の描き方や目指すところを変えてしまった。歴史的に有名な、意味あるものには目を向けない。今ここで生きている自分の目の前にある事物、それを照らし出している光だけを注視して、絵画へと落とし込んでいったのだった。降り注ぐ光は刻々と移り変わり、同じことは決して繰り返されない。一回性のあるものがキャンバスに定着され、それを観る側には「儚さ」や「切なさ」を想起させることとなった。日本人の気持ちを印象派ががっちりつかんで離さないのは、そうしたところに原因がある。

 

 シャガールは、一瞬の光をモチーフにしたわけではないが、誰もが知る事物をリアルに描き出そうとしていないところが印象派と共通する。彼がよく描いたのは、自分自身の郷愁の世界だった。今ここにあるものではなくて、かつて自らが愛してやまなかった世界からモチーフを引っ張り出し、キャンバスへと定着させていくのだ。シャガールの画面は夢見るような色彩に覆われており、人や乗りものは空に浮かび、混沌としつつも愉しさに溢れ、同時にすべては過去に属するものであるから郷愁に満ち満ちている。既にここにはないから思い出なのであって、幼少期や若かりし頃の記憶ほど「儚さ」や「切なさ」を連れてくるものもほかにない。日本人が大好きな、儚く切ない心象を、印象派やシャガールはどんぴしゃりと突いてくる。だからこれほどの人気を博すのであろう。

 

南仏サン・ポール・ド・ヴァンスにて。(1957年)

 

 

日本人と“美の概念”を共有する画家

 

 さらにいえば、相思相愛であるところも好ましい。印象派の面々は、当時ヨーロッパに巻き起こった「ジャポニスム」と呼ばれる日本趣味に夢中だった。浮世絵や屏風、工芸品などを熱心にコレクションし、こぞって模写に励んだ。シャガールはといえば、技法・手法・テーマ設定に日本美術の影響は見られない。しかし、心情的にはかなり共感するところがあったようだ。

 

 彼は1963年、日本で初めての大規模な個展を国立西洋美術館で開くこととなる。その際に寄せた本人の言葉は、詩的で真摯な、まるで彼の絵を言語に転換したような美しいものだった。このような文章だ。

 

「私は 日本のみなさんについて いつも想像しています 心の深い民族 目に映ずるものを 言葉がなくても感じとれる民族的なのだ と」

 

「みなさんを身近に感じるのは 私が 多くのみなさんと同じように 存在しないものを夢みずにはおれない人間だからです みなさんもあの瞬間を知っているのではありませんか? 夜明けにひとりで歌いだす小鳥のように 夢が私たちの手や心のなかでとつぜん花ひらく―あの瞬間を!」

 

 同じ「美の概念」を共有しているのでしょう、あなたたちも? 20世紀の巨匠からの、そんな問いかけである。なんとも素直に嬉しい言葉ではないか。

 

 叶うのであれば、シャガールの作品を手もとに置いてみたい。そう願う気持ちが、否応なしに高まるのである。

 

ベラを亡くしたあと1952年にヴァランティーヌ・ブロツキーと結婚。以降、97歳まで生きたシャガールのよき伴侶となった。写真は1967年、シャガール80歳の頃。